Punk&Game

俺の記事を読め! 社会派サブカル悟り世代バラエティーPunk&Game、ごらんのブログで更新中☆

才能って何だろう。努力って何だろう。

「才能」なんて都合のいい言葉を作ってしまったことが全ての元凶なんじゃないかなぁ、なんて思ったり。

「努力」なんていう不確かな言葉を作ってしまったことが全ての元凶なんじゃないかなぁ、なんて思ったり。


こんなこと言った手前変なことを言うけど“無償で何かを無限に出来ること”が才能であり、それを行うに当たり、その過程でやってきたことが「努力」と言うモノなんじゃないかな。「才能」は主観的言葉であり、「努力」は客観的言葉な気がする。

厳密に言うと(個人的な見解です)、この定義以外のことは才能でも努力でもないんじゃないかな。
例えば「めちゃくちゃ面白い小説を書けること」は才能ではない。
例えば「仕事でいい成績を取るために、無理して頑張ってます」は努力じゃない。
あれ?後者は微妙に「努力」って言葉が持つニュアンスとはちょっと違うな…。
たぶん、今現代の「努力」って言葉はあとあとから意味を付け足したんじゃないかな。




個人的に“俗にいう努力”は否定しません。むしろやりなさい的な立場です。そうでなければ世の人間は何もしない堕落者ばかりになっちゃうしw
けど、それと才能ってのはつながっているようで、全くつながらないモノなんじゃないかなぁと、このことを考えてて思いました。

でも世の中確実に「人よりも頭一つ二つ飛び抜けてる人」ってのはいるんだよね。で、それが努力でどうのこうの出来るなら誰でもそうなれる訳で。でも現実はそうじゃないし。
でも世の中確実に「いやぁ、頑張ってるんだけど、才能あるやつには勝てないよ」なんつって途中で下を向いてる人もいる訳で。

難しいっす、これは。


で、こんなに難しいのであれば考え方を変えてみようと。今の状況で頑張るよりも、無条件で頑張れる事柄を探したら良いんじゃないか?でも、そうやって2、3年くらいで会社を辞めちゃう若者も多い訳で。
結局の所、各個人の意識を高めてゆくしか無いのかなぁなんて。たぶん何か一つぐらい楽しく頑張れることってあると思うんだ。それを継続させれば良いんじゃないかと思うんだよね。


人間意外と「思い描く理想の姿」と「上手く出来ること」ってのが違うんだよね。憧れているからという理由では無条件で無限に頑張ることは出来ないし、さして何とも思ってないことに限って無償で無限にやれたりする。

実は、自分はモノを書くということが超絶苦手でしたw 読書感想文なんて「面白かった」以外のことを書くのにどれだけ苦労したことかw 授業の作文も友達が隣でスラスラ書いている中、一時間経っても一文字も書けず苦労してた覚えがあります。
でも、今こうして何年も日記やらレビューやらを書き続けてるわけです。実際、モノを書くのが好きかと言われると、そうでもないですw 物書きを目指しているのかと聞かれると、これもまたそうでもないです。
さして書きたい訳でもないことをテーマに「何か書け」と言われたら、最初の一行で手が止まってしまうかもしれません。
自分の中で「書く」ということに関してはその程度でしかないんです。
じゃあ、なんでお前はブログなんて書いているんだ?と言われれば、自分は「伝えたいこと、言いたいことがあるから」と答えます。
その表現の方法がたまたま「書く」という方法しか自分に出来ることが無かったから書いているだけです。で、それをたまたま何年も続けていたから、それなりに書けるようになったって感じです。

そういうことが才能なんじゃないのかなって思います。自分の場合「書く」という才能じゃなくて「伝えたい」という才能?まぁ、自分で言うのもなんだけどw


たぶん、誰にでもそういう部分ってあると思うんだよね。気づいてないだけで。そこに気づいてちょっと一歩踏み出してみれば良いと思う。で、継続することね。
そういう何かがあれば、仕事のストレスだって抜けるし、もしかしたら誰かに評価してもらえるかもしれない。


俺たち一般人は、サッカー選手並みに運動神経ある訳じゃないし、英才教育を受けてきた訳じゃない。平々凡々なその他大勢なんです。だから、そんなおっきい夢見たってしょうがない。地元単位で「○○といったらあいつだろう」ぐらいで良いと思う。で、運が良ければもっと何か出来る。ぐらいで良いんじゃない?
あんまり気張るといつかどこかで折れちゃうし、下を向くことが癖になってしまう。
あー、だからといって頑張らなくて良いとは言ってないんだよ。自分の手の届く範囲くらいで頑張れってこと。






今日の参考記事
才能と努力についてのまとめ