Punk&Game

俺の記事を読め! 社会派サブカル悟り世代バラエティーPunk&Game、ごらんのブログで更新中☆

人を育てるということ。

こうみえて人を育てることに興味がある。


…いや、違うかな。今まで見てきた人のやり方が気に食わないからとか、自分があまり良い人材じゃないから、同じように上手くやりたいのになかなかそうできない人たちを助けたいのかもしれない。



そんなこんなで、結構こういう記事を読んだりする。

上司の激励に「意味が分かりません」!?“ゆとり世代”に覇気がない理由とは

“厄介な新人”が増える原因は職場にある。皆で迎え入れ、皆で育てる職場に変えよう!


まずは一つ目の記事から。

自分は俗に言うゆとり世代なんだけど。こういう記事を読むたびに結構ビシビシと心に刺さる言葉があったりする。いろいろと図星な点も多いからだ。
まぁ、ゆとり世代初期ということと、田舎だったってこともあってか、皆さんが想像しているほど競争を排除した教育ではありませんでした。徒競走で手をつないでゴールするだとか、みんなが主役の劇とか、そういった類のものは実際に体験はしてこなかった。ただ、それほど“競争”を強いられていなかったな、ってことは今になって思います。
そういった「育ちの違い、時代の違い」のせいで、他世代との衝突や価値観の違いってのはどうしても生まれてくるんだろうなと感じています。ある種、あって然るべき、当然の現象なんだろうと。
そこで、自分達の価値観を下に(言い方は悪いが)押し付けるのか、ゆとり世代の価値観に合わせ適当な教育法を模索するのか。それが今のテーマなんじゃないかなぁと。
実際問題。上の世代の人たちは「このやり方で成功してきた」という自負があるだろう。でもそれはあくまで、“あなた達の世代”が“そのやり方”で成功したというだけであって、他の世代にもソレが当てはまるのかというと疑問が残る。詰め込み教育からゆとり教育へと大きく教育のあり方が変わった世代だからこそ、今までのやり方が通用しにくいんじゃないかなと思う。
とはいうものの。今の社会はそういうやり方で成功してきた人たちがメインとなって作り上げてきたものであるから、一概に今までとは違う教育を受けてきたというだけで、教育のやり方をホイホイ変えるのもどうなのかとも思う。だけどもだけど。これから新しい社会を担っていく、作っていく世代であることを考えると、思い切って今までとは違う教育方法で教育し、新しい社会を作ってもらう、担ってもらうという考え方も出来る。だからなんだかんだいって、自分でもどちらが正しいのかというのはイマイチわからん。でも、現に今までのやり方をやっていて、うまくいっていないという声をよく見るあたり、たぶん後者の方が長い目で見て良いのではないかと思う。

個人的には、昔はよかったなぁと思う。経済成長、豊かな暮らしといった社会全体の共通の目標があり、ソレに向かって老いも若きも一丸となってがむしゃらに前に進むことが出来たのだから。でも、今の社会というか今の日本は、何でもあり、何でも手に入る。ある種、豊か過ぎる世界だといえる。そういった飽和状態にも近い社会の中で、社会全体の共通の目標というものを作り出すのも難しいかもしれない。目標がなければ成長はあまり期待できないし、一丸となることも難しい。

案外、どういった教育をしていけばいいのかといった問題よりも、その会社がこの社会でどんな存在になりたいのか、将来的にどんなことをやりたいのか、そういった会社としての目標というものをなにか設け、社員全体で一生懸命それに向かって走っている姿をゆとり世代の新人達に見せるだけで良いのかもしれない。




そして次の記事。

「皆忙しそうで声をかけづらい」「誰にも相談できない」「自分は受け入れてもらえないのではないか」ということは自分も思ったことがある。そしてそういった場合、往々にして原因はこちら側であるとされ、「もっと自分からアピールしないと誰も感心を持ってくれないよ」と言われるのである。まぁ、確かにそうではあるんだけど、新人に対してそうでもしないと興味を持たない社員達というのもいささか問題があるのではないだろうか。仮にもこれから一緒に働く仲間なのだから。新人に「アピールしろ」というのもかまわないのだが、せめて「は?あんただれ?」という空気ではなく「新人か?どんな子なんだろう?」という空気を作り出すくらいはやっても罰は当たらないと思う。誰も見向きもしてくれないようなところでのアピールよりも、少しでもコチラに関心を向けていてくれた方がアピールのし甲斐もあるだろう。


何を聞かれても、「やっています」「大丈夫です」と答える。確かに仕事は一生懸命やっている。でも、自分からは何も聞いて来ない。そつなくこなしているが、それ以上のことは何もやろうとしない。

自分は結構こういう人間。ただまぁ、ふたつ反論させていただくと、質問をしないのは基本的に問題は自分の力で解決するものだと考えているから。そしてそれ以上のことをやらないのは、しゃしゃり出て嫌われたりつぶされたりするのを恐れているから。こうしたら良いんじゃないかとか、こういうことをやりたいなということがないわけじゃない。ただ、経験もないし知識もない。だからソレが正しいことなのかがわからない。だからひとまずやらない。様子を見て出来そうならやり、出来なさそうならそのままという、悪い言い方をすればかなり消極的な態度だとはいえる。

で、そういう風な人間がなぜ出来るのかというと、この記事では「不機嫌な職場」がそうさせていると書かれている。あぁ、確かにそうだなと思うところが結構ある。文字通り不機嫌ということもあるし、社員それぞれの意識のベクトルが新入社員ではなく各々の仕事にばかり向いてしまっているということもあると思う。まぁ、自分も一時は人の上に立って仕事をしていたこともあるからわかるんだけど、ある程度仕事が出来て自分がやらなければいけないことがあると、どうしても新人に気を向けている暇がないというのもわかる。現に自分もそうだったし。でもそれじゃあ駄目なんだよね。新人を育てるのは教育課の人間でも、チームのリーダーでもない。会社全体の人間がみんなで新人を育てていかなければいけないんだよね。関わり方の深い浅いはあっても、その新人に対して興味がないということはやってはいけないことなんだなと、今になって思う。仕事を覚えてもらう、一人前になってもらうという前に、大前提としてその会社になじませるってことが非常に重要だと自分は思う。萎縮せず、緊張せず、リラックスして思いっきり仕事が出来るように会社に溶け込んでもらう。会社の一員となってもらう。そういうのが、新人教育としてまずやらなければいけないことなんじゃないかな。

だから 「新しい社員が入って来たら、皆が寄って行って、どこから来たのか、今まで何をしていたのか、家族はいるのか、何に興味があるのかなどを聞くのが当たり前じゃないのか」という海外の考え方は非常に良いものだと思う。というか、日本だってクラスに転校生が来たら絶対こういうことをすると思うんだよね。でも社会に出て会社の一員になると途端にソレができなくなる。どうしてなんだろうねぇ。


そういう「受け入れる」、「迎え入れる」という状況を作るだけでも、新人教育は大きく変わってくるんじゃないかなとおもうんだけどね。







余談。
そういえば、数ヶ月でやめたダイビングショップはとても居づらい場所だったなぁと、今になって気づいた。誰も自分に興味が無いようで、みんな各々が各々の仕事をしていた。チームワークが必要な仕事だからと、社員全員のアドレスをゲットして来いと、社員全員のところを回らされたりしたっけ。自分のアピールが不十分だったからなのか、最後まで場違いというか、輪に入れない感覚がずっとあったなぁ。そのくせ、お客さんとの仲や社員同士の仲がよく、悪く言えば「よそ者は入ってくるな」的な排他的な空気をなんとなく感じていたっけ。
そのくせ最後は「お前はみんなの信頼を裏切った。どうして相談しなかったんだ。お前のフォローなんかしないからな。」と言われた。確かに自分に大いに非はあったんだけど、まさかことの全てを俺のせいにされるとはねぇ。自分達には何一つとして非はないという意思が明らかに見えていたこの言葉にはさすがにあっけに取られたな。そもそも誰一人、自分を信頼していないくせに出てきた信頼という言葉。排他的な空気をかもし出していたにもかかわらず相談しなかったことを責める言葉。で、フォローしないとかいうガキみたいな発言。
あぁ、すごいとこに居たんだなぁ俺はと思ったね。でも、「お前は明らかに間違ってるよ。でも、お前みたいな人間を上手く使えなかった点は反省していかないといけないな。」と言った人がいたのはびっくりした。まさか、そういう考え方をする人が居るとは思ってなかったからねぇ。




ま、なんにしても“今まで”って言うものに縛られず、もっと柔軟な考え方で、色々勉強もして、育てる側ももっと理解と努力をするべきだなぁというのが思うところかなぁ。