Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

ケッキョクノ トコロ

何だかんだ言って、社会において出世や年収アップに必要なものは「仕事が出来るかどうか」じゃなくて「他人に好かれるかどうか」なんじゃないかなぁなんて最近思ったりする。
まぁ、低学歴の俺が行くようなところだからそうなのかもしれないけど。
だからといって、別に俺が仕事がバリバリ出来るって訳でもないんだけどねぇ。ただ、人見知りで性格もなかなか変えられず、そういう演技も上手くできない自分にとって、「あいつあんまり好きじゃないけど仕事は任せられるよな」ってのはある種の最後の希望だったりするんだよね。俺みたいな人間が生きていくにはそれにすがるしかないわけで。でも世の中はそれじゃ駄目。寧ろ、仕事が出来なくても、見栄えというか表っ面が良い奴の方が、上司に好かれてチャンスを多くもらえるし、実際に出来ているできていないは別として「がんばってるから」って給料上がったりする。
最近は特にそういうことをじかに感じることが多いかな。


今の世の中はそういうのが“良い”とされている時代なんだよねぇ。世の中にはおとなしい人も居れば、にぎやかな人も居る。どっちが良いとはいえない。一長一短だし、どっちも良いしどっちも悪い。デモ今の世の中は後者が好きらしい。ただ、そういう時代にそういう風に生まれただけで、そういう扱いを受けるのはちょっとむかつくかなぁ。まぁ、単なる僻みでしかないんだけどさ。





あとなんていうのかなぁ。会社自体が人を育てる気が全く無く、中途で入ってくる人間が、自分達が何もしなくても会社に利益を作ってくれるだろうと思っている人達。どうなんだろうね。
まぁ、企業側もそういう余裕が無いのもわかるし、そっちの方がラクなのもわかるけどさ。
どうでもいいけど「あなたが入社したらわが社にどんなメリットがありますか?」って質問って、面接官としての仕事を放棄しているとしか思えん…。この人はこういう人だからこういう仕事をさせたら上手く行きそうだとか、この人はこういうことをやってきたからこういう仕事をやらせてみようとか、そういうことを鑑みて人を採用するのが面接官の仕事じゃないのかね。ちがうのかしら。

俺ってなんか知らないけど、「志望動機は?自己PRは?長所と短所は?」みたいな形式張った面接は大抵受からない。逆にそういうのに囚われない感じの面接はその場で採用もらえるくらい速攻で受かったりする。一体何が悪いんだろうね。落ちまくる奴はその程度の人間だとよく言われるが、ここまで極端だと自分の何が悪くて何が評価されているのか全くわからん。

関係ない話だけど、俺が面接官だったらそういう形式張った面接は絶対しないだろうな。だってそんなのは履歴書見れば、聞くまでも無く書いてあることだし、そんなテンプレ的なこと聞いても返ってくる答えは所詮テンプレ的な答えしか返ってこないし。そんなことでその人の何がわかるというんだろう、と俺は思うからね。個人的には、面接という堅苦しいものなんかあんまり意味ないと思う。単純にただ雑談をしているだけで、大体どういう人なのかはつかめるし、その上で形式張らない程度に志望の動機とかを聞き出せば良い。そっちの方が素のその人を見ることが出来ると思うし、採用してから「あぁ、こんな人だったのかよ、こいつは…」ってことも無いと思うんだけどねぇ。



こういうことを同世代の友達とかと結構真剣に語り合ったりするんだけど、こういうのって経験の浅い社会のことをわかっていない馬鹿の言い分なんだろうか?納得できないことを「納得できません」といってしまうのは子供の証拠なのかなぁ。