Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

歪んでいるのは世界か、自分か。

桜宮高校の件しかり、柔道の代表監督しかり。
こういったことがもっと問題になってもっともっと話題になってほしいなと思う。


どうも日本は、肉体的にも精神的にも叩いて鍛えるというような考え方が根強い用に感じる。
四角い鉄の塊を、叩いて叩いて叩きまくって真っ直ぐな棒にするとかね。
でこぼこのまるい塊を叩いて叩いて叩きまくってでこぼこをなくしてツルツルにするとかね。


肉体的じゃない。精神的にもどうかと思うのってあるじゃない?普通の社会の中でさ。
例えば上司にさ「死ね」とか、「できないなら帰れ」とか、言われるじゃない。あれも体罰みたいなもんだろう。道徳的に考えて、やっていいこととは思えない。






と思ったけどなんにも変わらないだろうな。






なんでもいいけど、「空が灰色だから」は、年食った大人こそ読むべき漫画だと思った。
というか、こういう人間がいるんだよってことを教えてやりたい。教科書にしたいくらい。

笑える話もあるし、心に爪を立てられたまま終わる話もあるし、ちゃんと救われる話もある。
でもこういうちょっと違う、ちょっと変わってる人間をもっと世の中が許容していけないのであれば、理性を持った「人間」を語る資格などないわけで。そんなやつらの集まった「社会」なんてものは一体何なんだろうと思ったりもする。


そういう意味では、個性をなくしてみんなおんなじ形にそろえて出荷する義務教育ってのは、ある意味で実は本当に素晴らしいシステムなんだなと思った。
そこを外れたら未来はありませんけどね。


個性個性と謳った、そして求めた社会が、それらを受け入れるキャパシティーや柔軟さを持ち合わせていなかった。

日本の企業が求めるものが、協調性、コミュニケーション能力、基本的な生活態度、って時点でもうね。

そういう意味では、公務員ってのはそれから外れてしまった変人の受け皿なのにね。いまや、底を狙う優秀な人間とかいるからね。

資本主義だからしょうがないけど、昔はちょっとくらいダメでも生きていくぐらいできたけど、最近はちょっとダメだと冗談抜きで生きていけない。家がないとか住所がないとか、平気でそんなことになっちゃう。

無能は安楽死とか冗談抜きでやってほしい。淘汰はされるけど、死ねないんじゃ苦しいだけ。
生きることへの希望とか、夢とか、生きていれば…とか、そんなのは生きていてもまだ余裕が有る奴の言葉。生きることすら精一杯な人間に、そんな薄っぺらい言葉は届かない。

ろくに所得もないし消費もしないのなら大して税収も変わらんだろ。逆に死ぬためにお金を取れば人件費や、下手こいたら利益も出るんじゃない?
「今お金を貯めているんです。え?何のため?死ぬためですよバカだな~ははは。」ってね。笑っちゃうよ。





歪んでいるのは世界か、自分か。

世界は変わらないが、自分は変われる。ただ、そのためにつらい思いや努力、普通の人なら感じることのないような余計なストレスにさらされる事ができるのか。
それをしてやっと人並み。あとプラスで、普通の人がしている努力やストレス。

人より多く苦しんでいるはずなのにそれは理解されず、お前の努力がたりないのだとさらなる努力を強要され、自分がおかしいことに気づけずに、自分を追い詰めて死んでしまう人はあまりに不幸だ。

ただ世の中はそれを助けようとも是正しようとも改善しようとも補助しようともしない。


周りと足並み揃えて行進するのに必死。



それが正しい、それが普通、それが社会だというのなら、やっぱり俺達には死に場所が必要だ。