どうして日本の企業はコミュ力偏重という狂った採用をするの?
人を使う人達にコミュニケーション能力が無く、消去法的に他の奴らがコミュニケーション能力を上げないといけないので、必然的に新卒に求めるものがコミュニケーション能力になる。
上の奴らが、つまるところ意思伝達が下手くそなので手前の言うことを汲み取ってくれる、つまり「コミュニケーション能力が高い人間」が欲しいということ。
自分にできないことを他人にやらせる、押し付けるそんな潜在意識が垣間見える。
と、分析してみる。
が、
人間ってのは自分が出来ること得意なことを物差しに人を測りたがるものだ
逆に自分の出来ないことでは人を評価できない
っていうレスもある。なるほどなぁ。
こっちのほうがしっくり来るか。何が大多数であり普通であるかっていうのを忘れていた。普通とかオレからしたら異次元ですから。
それにしても、コミュニケーション能力という言葉というか、コミュニケーション能力という言葉の認識があまり好きじゃない。
なんというか、どれだけ話ができるかって言うより、どれだけ多くの人に覚えてもらえるか、知り合えるかっていう部分だと思うんだ。
それがあれば学歴がなくたってきっと出世できる。
チャラいのとか、いわゆるリア充とかってさ。ほんとに知り合いが多いんだよな。いつの間にかやたら偉い人と知り合いになってたり、全然別の部署の人と知り合いになってたりさ。そうやって、いろんな人に覚えてもらえれば行動を評価してくれる人が増えるから、最終的に評価が上がりやすいし、誰かがフォローしてくれる可能性も増える。
いわゆるそれがコミュニケーション能力なんじゃないかと。
まぁ、オレには皆無だから底辺から人生リスタート中なんだけどね。
俺ら異常者からしたらコミュ力とか特殊能力以外の何物でもないんだけどな。わかってくれとは言わないが、それぐらい異常な人間が居るってことくらい認めてほしいとは思う。
そんな奴居る訳無いとか、お前の物差しなんかどうでもいいから。
とりあえず人生諦めるところから。
うずくまって死を待つには80年という寿命は長すぎる。