すっごく乱暴な話をすると、今回のコロナ…というか伝染病というのは人間の外向性、外向的人間が広めていると言っても過言ではない。
我々内向型人間は所詮そうしたエマージェンシーで全滅しないためのバッファでしかない。
今の世の中では圧倒的に外向性が評価される。内向型人間は、外向型人間を真似し、無理して自身の中にある数少ない外向性を拡張することを余儀なくされている。
が、これを機に現状の評価が逆転したら面白いな、いやそうならないかなぁと密かに思っている。
いや、大いに思っている。というか逆転してくれお願いします。
まぁ、半ば冗談だ。いや9割は冗談だ。だってそんな事起き得ないからね。それくらい僕でもわかります。願望ってやつですよ。ははは。
評価というものは所詮相対である。
近所でどんなにサッカーが上手い子が居ても、地元のサッカーチームに入ってみたらそんなでもなかったとかよくある話。
たとえ地元のサッカーチームでもトップだったぜ!なんて子でもプロユースチームとかに放り込まれたらドベになってたりするわけで。
所詮、何かの評価というものはその周囲にあるものと比較して、それより上か下かというものを偉い人が観測しているに過ぎない。
そう、あんなものは評価ではない。単なる観測だ。そういう意味では、本当に評価ができる上司などこの世には1%と存在しないだろう。
で、何の話だっけ?あぁそうだ、外向内向という話だ。
外向型、外向性が評価されるのも所詮はそういう世界だからにすぎない。彼らの能力が絶対的に高いのではなく、それが高く見える世界だから高いと観測されているだけなのだ。
そう考えると、低くみえるというだけで低いと評価されるのはとてつもなく損じゃないか?と思う。
思わない?だってそうでしょ。ただそのまま生きているだけなのに、方や評価され方やけなされ修正を余儀なくされ、ってこれを損と言わずしてなんと言うのか。
そういう意味で、それが高く見えるからという理由で評価される立場になってみたいなという怠惰な話だ。今回は(笑
だが結局は変わらないだろう。コロナの感染力がずーっとこの調子で、毎日毎日当たり前のように数百人単位で増加し、ワクチンや治療薬も出来ず、どんどん人が死んでいく、なんていう状況が当たり前になるわけがない。
いつかワクチンが出来、治療薬が出来、コロナはインフルエンザレベルになることだろう。いや、下手したら風邪レベル程度になる可能性もあるだろう。下手したら、ってなんか変な言い方だが。
前述した状況が当たり前となれば内向型の性格は有利に働くが、騒ぎが収まった世界、今までの世界ではそうはいかない。
我々は相変わらず、「外向性が評価される世界」という異世界に自分を合わせなければいけない日々がまたやって来る。
仕事が終われば誰かと飲みに行き、休みになったら誰かとでかけたりスポーツに興じ、仕事では積極的に誰かのところに直接赴き長時間会話をし、知らない人だろうとなんだろうと積極的に接触する。
そんなことが「何やってんだお前ばかじゃねーのか!!!」と恫喝される世界に一度は行ってみたいな、という。
そんな願望と妄想のお話。