Goin'にMy Way.

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芽が出なかったのはお前がそう思っていたからそうなったのだ、という話

 は、大嫌いです。うっさいわぼけ。って感じです。

こういう、落ち込んでたりふさぎ込んでたりする人を更に叩き落とす理論は、本当に正しいことだとしてもその人にとって適切かどうかという問題に置いては全く正しくないと僕は断言したいです。

 

「自分には集中できるような好きなことがない」でも、真の問題は「好きなことがない」ということよりも、あなたが「好きなこと一本で食べていく能力がないと信じている」ことです。大勢の人にとって、自分には能力がないと信じていることが、好きなことがあっても集中しない理由となっているのです。でもそうやって何年もずっと絵をやり続けたけれど、全然、芽が出ませんでした」
はたしてそうでしょうか。
それは、たとえば絵を描くのが楽しかったというよりは、
「早く、一本立ちしなければならない。有名にならなければいけない」
といった思いが強くて、焦ったり不安になっていたりする時間のほうが、絵に熱中する時間よりもはるかに長かったからではないでしょうか。いささかきつい言い方にはなりますが、自分が信じでいるとおりに「全然、芽が出なかった」のです。あなたのマイナスの意識がそのまま形になったという意味では、自己実現しているといえるでしょう。/石原加受子 著書より


 この手の理論はよくありますよね。心理学でもスピリチュアルでも、自分が思ったことが現実として現れる、という話です。

俺は出来る!って思ってやっていたから成功した。

僕に出来るのかな…と思っていたから失敗した。

っていうやつです。

でもこれ結構難しいです。マイナス方向にはいとも簡単にどんな状況からでも落ち込むことが出来ますが、プラス方向にはそれなりの条件や環境や性質などがあった上でこういった思考を持って初めて結果として現れ始めます。

つまり、マイナス方向へは思うだけで簡単に実現しますが、プラス方向へは思うだけでは実現しないということです。

なのに、この手の理論を振りかざす人はプラスだろうとマイナスだろうと思えば変わるんだ、と思いこんでいます。きっと当の本人がそうだったんでしょう。

ただその裏には自分の置かれた環境や、もともと持っている自分の性質や性格、そして様々な条件が背後に有ったからこそ思いが実現していることを彼らは全く理解していません。意図的に目を背けているんじゃないかと思うくらいそこに目を向けません。

 

 

 じゃあプラスに転じさせるには何が必要なのかという話ですが、正直おとなになってからではかなり難しいと思います。子供の頃にプラスに転じさせておくべきです。

なぜかと言うと、好きなことを何も考えずにただ追求する、ということは大人には難しいからです。

子供はお金を稼がなくても寝る場所があるし、ご飯は毎日出てくるし、服だってあります。学校も極端な話行きさえすればよく、何点以上取れないと追い出されますよ!なんて仕組みはありません。

つまり、生活する上の不安というものが子供にはまったくないのです。そして生活する上でやらなければいけないことも、一定以上の成果を必ず出さなければいけないことも、子供にはありません。

だからこそ、好きなことに集中できるんです。将来どうなるんだろうなぁ、っていう不安も子供はそもそもあまり持ちません。

なので逆を言えば、子供の頃に本人のそういった部分を見出して伸ばしてあげないと、その子は将来苦労するということでもあります。

 

 しかし、大人はそうは行きません。お金を稼がなくては家も追い出されますし、ご飯も食べられませんし、服も買えません。

そのお金を稼ぐためには仕事をしなければならず、その仕事は一定以上の成果を出さなければ給料が減ったりクビになったりします。

つまり僕たちはただ生きているだけで、今や将来に対しての不安を既に抱えてしまっているのです。これじゃあ誰かに勝つことは出来ません。

 

 じゃあどうしたらいいのかという話ですが、本当に時間がかかってもいいなら仕事を続けながら好きなことをやるという方法と、数年は行きていけるだけのお金を貯めて「○年間頑張って駄目なら諦める!」と決めてそれだけをやる方法です。

得てして人間というものは、逃げ場があると成長しないものです。

例えば新規就農を目指して農家さんの元で働きながら研修を受ける人と、いきなり自分で農業始める人では明らかに差が出てきます。前者はいつまで経ってもだめな場合が多く、後者は首吊るか成功するかのどっちかです。

僕もそうでした。自分ができなくても最終的には師匠がやるだろ、というような逃げの意識がどっかにあって、そしてそれってその環境に身をおいている限り絶対消えないんですよね。

だから、自分がやらなければ、自分ができなければ大損こく、という環境に身をおいてやらないといけないんです。

ただ、農業は法律上新規参入が簡単にできないようになっています(経験者でなければ新規就農できない)し、工業はかってに工房もつのはいくらでも出来ますがコネでも無い限りなんの実績もない人に仕事なんて出しません。どんなに安い仕事でも。

って、話がそれちゃいましたが。つまりは、自分がやらなければ死んじゃう!って自分を追い詰める環境に自分を置きましょうという話です。

 

 

 で、僕が一つ気になるのは、上記で引用したように落ち込んでる相手をさらに叩く物言いが気に食わないんですよね。

上記の話はHSPの人に対して言ってるんですよ?僕としてはちょっと信じられないです。内容が正しければ殴ってもいいのかよ?その人に適切な言い方というものがあるだろ、と僕は常々思っていましたし今でも思っています。

この手の話は上に立つ人には受けが良いです。例えば「部下でこういう人がいるんだが何が悪いんだろうか?」みたいに悩んでいる上司とかです。そういった人に「部下くんがうまく行かないのはあなたのせいじゃないんですよ、みんな部下くんが勝手に思い込んでかってに失敗しているんです。これは完全に部下くんの問題です。」って言ってるのと一緒ですから。そりゃ受けます。

しかし当の本人に言うにはまったくもって不適切です。

あ、ついでに言えば今挙げた例も結局問題の解決には到らないので、これも実は不適切なんですけどね。他責にして自分は何もせず相手を攻めればいいと勘違いして終わっているのでこれでは問題なんていつまで経っても解決しません。講演家は自己啓発本と一緒で、必ずしも結果がでなくてもいいんです。対象の人がそれっぽくその気になればそれでいいんです。だから自己啓発もテンションを揚げるにはいいですが内容に関してはよく考えましょうね。

で、また話がそれたw つまりいくら正しいことであっても、適切な伝え方が出来なければその発言には意味もなければ価値もないということですよ。

溺れている人に「何やってんだ!上がってこい!」「およげよ何やってんだよ!」「お前どうせ出来ないとか思ってんだろ!」とか言っても意味ありません。

溺れている人に必要なのは浮き輪だったり、足場だったり、空気だったりするはずです。それでまず落ち着かせ、体力を回復させ、そうしてから岸まで泳いでくればいいんです。

HSPの人を助けたい、って言っている人でもこれが出来てない人が多いのが僕は非常に残念です。

 

 

 僕ならこういいます。

まず自分に対して負荷がかからずに済む仕事に就きましょう、と。

そしてその仕事をしながら好きなことをするなり、その仕事でお金をためていついつまでと区切って思いっきり打ち込むなりしてみてはいかが?と。

現状では何も出来ないのに自分なら出来ると信じるのは難しいことです。大人になればなるほど。というか、そんな事ができるのは子供だけですよ。

なので大人になってしまった僕らは少しずつ自分を信じるしか無いんです。

少しずつ一つずつ出来るようになっていって、「ここまでは自分は出来る。だからこれくらいも出来るだろう。」という刻み刻みの自信を一つずつ積み上げていくしか無いんです。

大人になってから「絵で食っていきたい!」は正直無謀です。難しいです。数年程度でどうにかなるものではないということは認めたほうがいいでしょう。

ですが、何年かかろうが最終的には絵で食っていきたい!と思うのなら前述したことをやり、一つずつ自分を信じていければ想いが叶う確率はぐっと上がるでしょう。

と、僕ならこういいます。

 

 誰かに何かを言われて。誰かの書いた文章を見て。

なにか違和感を感じたならその違和感を分析してみましょう。

そうすれば、その内容が正しいのか間違っているのか、ただ表現が自分にあっていないだけなのか、そういう事がわかってきます。

それがわかればあとは正しいことだけ自分流にアレンジして取り入れればいいんです。

相手の言うことを丸々受け取る必要ありません。要らないものは受取拒否。要るものだけもらいます。そういう心構えも外界から受ける刺激を減らす有益な手段になります。

 

我が道よ

我が道よ

  • 発売日: 2014/03/19
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