Goin'にMy Way.

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死ぬ、ということを受容し共感する。

 前から言ってるけど、僕は死んでもいいと思うんですよ。

逃げ場が無いっていうのは、一番つらいことなんだよ。多分これわからない人がいっぱいいるから「死んじゃ駄目」って言う人のほうが多いんだろうけどさ。

会社を辞めるみたいに、ぜーんぶ放り投げられる場所っていうのがないと、頑張るに頑張れないよ人間は。

ゴールがどこかわからないのに延々とマラソンは出来ないよ。気持ち的な面でもフィジカルな面でも。

 

 現代は死にたいして距離がありすぎるんだよね。医療が発達してそうかんたんに死ななくなった。

80歳90歳はもはや当たり前の時代。どんなに病気になったとしても最終的には寝たきりであろうと一応”生かされる””生きてはいる”状態を作れる時代。

死を恐れに恐れ、とにかく死を遠くへ、とにかく死から遠ざかってきたこの80年。

 

 どう生きるか、を自分で決めて生きていける時代なら、どう終わるか、も自分で決めて終われる世界がいいと思う。

そして頑張って悩んで苦労して苦しんで決めた生き方や終わり方に文句を言わない世界がいい。

といっても、見ず知らずの関係ない他人に対して気軽に手軽にああだこうだ言ってしまうのは多分人間の性なんだろう、と最近思うので、胸張って生きればいいし胸張って終わればいいと思う。

 

 

 頑張った。お疲れさまでした。今まで大変だったね。ゆっくり休んでよ。

僕は死ぬことをプラスに捉えたい。たとえ自らがその生命を絶った場合でも。

 

 

 自殺報道が続くと、今死にたいと思ってる人達に悪影響だ、とか言うけどそれも余計なお世話だわと思う。お前ら別に俺たちを助けてくれるわけでもないのに俺達の逃げ道を潰すのか。なんの関係もないお前が。死にたいとか思ったことも無いようなおまえが。

だから死にたい人は死ねばいいよ。って字面はなんか恐ろしいけど。

自殺は別に禁忌でも罪でもないよ。生き方の一つだよ。間違ったことでもないよ。

でも、他の選択肢と違って後戻りはできないということと、その後のフォローが全く出来ないから、ちゃんと準備万端にしてからやろうね、とは言っておきたい。

あと、どうせ死ぬなら色々やってみてから死んだ方が得よ、とも言っておきたい。

死んでしまったらどうせ何もわからなくなるんだから、恥ずかしくてできなかったこととかもやってみればいいし、お金もあの世には持っていけないんだから全部使わないともったいない。

仕事だって死ぬなら続ける必要ないんだから、辞めて日本一周とかやってみてから死ねばいいと思う。

やってみたいこと無い?俺はバイク乗りたいなぁとか、北海道のカニ食べたいなぁとか、博多の水炊き食べたいなぁとか、好きなバンドのライブ行きたいなぁとか、芝居見てみたいなぁ、とか色々あるよ。ピラミッド見てみたいし、オーロラとか見てみたいよ。ドラムを習いたいなぁってのもあるね。

でもそういうのってなかなか出来ないんだ。仕事があるからとか、お金の問題とか、時間の問題、場所の問題。僕らは生き続けなきゃいけないから今この瞬間のためだけにすべてを捨てることが出来ないんだ。だからやりたいと思っていてもなかなか実行できない。

でも死ぬならそういった障害って一気に無くなるんだよね。

そうするとやりたかったこととか全部できる。どうせ死ぬならやりたかったこと全部やってから死のうよ。

 

 で、最後はさ。「あー、いい人生送れたわ!」っていって死のうよ。北海道行けたぜ!ピラミッド見れたぜ!バイクも乗れたぜ!ドラムもやってみたぜ!これで悔いはないぜ!って言って笑って死のうよ。

そうすれば周りの人もきっと納得してくれるよ。「あぁあの子は満足して逝けたのね」って。「苦しんでたみたいだけど最後は幸せになれたのね」って。

「ずっと苦しんでたの知らなくて助けてあげられなくてごめんね」なんて残した人達に思わせちゃ駄目だよ。それはある種の加害だから。

 

 

 そういう死にしよう。円満退職ならぬ円満退生ってことで。

相談窓口に相談するのもいいよ。人に話すだけで楽になることもあるからね。

でもぜーんぶ投げ捨てて死ぬまでの残りの時間を生きてみるってのもいいと思うよ。

もう散々苦しんだんだから楽しようよ。死ぬまでの短い時間くらい。