僕にとって年が明けようが明けまいが、いつもと同じ昨日と今日と明日なのでこれと言って「あけおめ!!」とかわざわざ仰々しい挨拶をして回る必要性がよくわからないのだが、一応言わないといけないっぽいので言ってはおこうか。
あけましておめでとうございます。
で、新年早々嫌なことを書く。
人間や動物の性格には、活発で積極的な性格と、おとなしく消極的な性格が明らかに存在している。
この性格はそれぞれに長所と短所があり、特定の状況下で全滅しないための多様性の一つだ。
でだ。今のこの状況、正直な話、前者がコロナで全滅してくれたらくっそ生きやすい世の中になるなぁなんて、実は腹の底では思ってます。
何いってんだお前、って言われるのはわかってるけどさ。思ったことを記録していくのがこのブログなので、思ったことはちゃんと書いておこうと思うのです。
積極的、活発、アクティブ。この性格は発展や社会性という面においては最適な性格だ。この性格がなければ人類は、というか生物は子孫を増やすことは出来ないだろう。
だが、このように伝染病が流行ってしまった場合、自らリスクに突っ込んでいくのもこの正確だ。
消極的、ディアクティブな性格の僕らは所詮全滅しないためのフェイルセーフというか残り滓と言うか、所詮そんなものだ。というか、それ以外に正直な所僕らのような性格種に存在価値はないと言っても過言ではないとも思う。
ちょっと人と会わない、ちょっと外出しない程度で鬱になるとかいう我々には全く想像もつかない性格の彼らがこの世界の大半だったんだ、と思うと「そりゃこんな世界で生きていけるわけ無いわ」と改めて思ったりもした。
彼らが完全に居なくなった社会が本当に生きやすいのかどうかは正直わからない。どうせ何世代化すればまたアクティブ種に取って代わられるだろう。
だが、一度でいいので「生きやすい世界」というものを体験してみたい、というところもある。
自分に適した世界がどんなものか体験してみたい。
今の社会は医療の発達のおかげで新陳代謝が以上に遅くなった。
政治家は当たり前のように70歳を越えているし、経営者も当たり前のように70歳を超えている。
でも彼らは下手をしたら30代からそれをやっているのだ。40年、50年代替わりしていないのだ。
昔ならもう死んでる。仕事ができない状態になってしまっている。だからこそ席を譲らざるを得なかったが今の時代はそうではない。
今の政治の現状はその弊害と言っても過言ではないんじゃないかなとは思う。
そんな状況を狙ったかのようにコロナは出現し猛威を奮っている。
若者には大きな被害を与えず、医療がなければ死んでいるであろう層を殺しにかかってくる。
コロナの殺意はハンパねーなと思う。感染力1.7倍の変異種まで出してくる始末だ。これは地球の意志なのかなとか思う。
天変地異。疫病。次はなんだろうか。
「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」