Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

トリセツ

小さい頃、僕は家にあるありとあらゆる取扱説明書を隅から隅まで読んでいた。家電の説明書から、プラモの説明書まで何でも。説明書を読むとそれについての理解が深まったような気がして、それについて知らなかったことを新しく覚えるような気がして、そんな感じだった気がする。というか、ロクに友達も居ず、大してオモチャも持っていなかった自分にはそれくらいしか遊びが無かったからだけなのかもしれない。そして、きっと死ぬほど暇だったんだろう。今思い返してみても、あの莫大な暇な時間を一体どうやって毎日毎日消費していたのか全くわからない。というか、毎日毎日、友達と遊びに行くわけでもなく、いつも家に一人で居る子供を親は一体どんな気持ちで見ていたのだろうか。きっと、さぞ心配していたに違いない。この子は将来大丈夫なんだろうかとか、学校ではちゃんとやっているんだろうかとか。まぁ、その心配はものの見事に当たってしまうわけだけれど。
つい先日ちょっとしたクビ宣告をされたわけなんだけど。覚えが悪いとか、スピードが遅いとか、やるきあんのか、とか、まぁそんなところだ。自分としてはそんなに手を抜いてる気は無いんだけれども、そう見えてしまうのなら仕方が無い。手を抜いてそう見られているのならともかく、程度にはやる気をもって仕事をしているにもかかわらずそう見られてしまうのなら辞めるしかなかろう。確かに100%の力は出していないけど、毎日毎日100%の力やテンションややる気を維持できるほど、仕事を楽しいものだとは思っていないし、そんな体力も持ち合わせてない。ランニングハイのような状態を毎日毎日何時間も続けられる奴なんて早々居ないだろう。まぁ、所詮は言い訳なわけだけど。
それにしても、どこにいっても「お前はわかりにくい」とか「理解に苦しむ」とかよく言われることがある。まぁ、通常の生活で素をさらすことがほぼ無いんだから当たり前なんだろう。というか、傍から見ているだけで理解できるほど単純明快で、ポジティブなわかりやすい性格なんて生憎、持ち合わせていないわけだが。それにしても、人を扱う役職に居るような人間が、その人間のことをロクに理解しようともせずに「お前はわかりにくい」と切り捨ててしまうのもどうなのだろうか。専門時代の先輩は、人を観察する目に長けており、洞察力も鋭い。俺なんかの行動や思考を「お前ならこうなんだろう?」とズバリあててしまうような人だ。そういう人とそれなりの時間すごしてきた身からすると、その辺の人間の人を見る目というか、その人を理解しようとする努力が酷く適当なものに見えてしまう。
というか、ポジティブだというだけで、人の評価というものは無条件で上がってしまうような気がしてならない。前の会社に「やる気はあるんだろうが、実力が全く伴っていない人」が居た。失敗も多く、遅刻も多く、普通に考えればまことありえない人間だったわけだが、やる気だけはあるという印象をみんな持っていた。だが、よくよく思い出してみると、よくよく考えてみると、そいつはただ明るく前向きだっただけで、実際のところ大してやる気なんて無かったんじゃないかなと思うことがある。実際、やる気が本当にあるなら、しょっちゅう遅刻したりしないし、仕事の状況に関わらず会社で寝るなんてことはしないだろう。そう考えると、実はポジティブであるということだけで人間の評価というものは無条件で上がってしまうんじゃないかと思えて仕方なくなってくる。逆に、ネガティブであるというだけで、実はやる気があるのにそれが表面に出てこずに周りに伝わらない。ネガティブであるがゆえに、その消極性から何を考えているかわからないと言われ。大概のポジティブ系の人間にはネガティブ系の人間など到底理解できないんじゃないかなと思うことがある。コーヒーやお酒を飲めない人が、それらの美味しさを全く理解できないのと同じように、ネガティブ系の人間がどういう考え方や生き方をしているのか想像も付いていないんじゃないかと思う。ならば、そういう人たちにもっと理解してもらえるように努力をするべきなのだろうか。それともそういう人たちがもっと理解をするように努力をするべきなのか。まぁ、おおよそ前者なのであろうとは思うが。そういう意味では誰にもわからない苦労というものをネガティブ系の人たちはしているのかもしれない。逆もまた然りなのだけれども。
自分の場合は、自分のことすらロクに理解していないというのも問題なのだけれども。というか、自分も含め、人間というものにほとほと興味が無いらしい。以前、人にそういわれたこともあるし、自分すらロクに理解していないところを見ると、きっとそうなんだろう。おそらくは、そういう態度は変えたほうが良いんだろうとは思うがいかんせん面倒でしょうがなかったりする。そういうところが悪いところなんだろう。そして、そういう面倒を乗り越えようともしないところもまた、自分の悪いところなんだろう。どうも、こういう風に自分を変えなければならない状況ってのがたまに襲ってくる。そのつど、それなりに、自分なりに自分を変えてきたつもりではあるけど、いい加減それも億劫になり始めた。ありのままで、自分のままで上手く生きてはいけないのだろうか。そんなに世の中は甘くは無いか。面倒だ。ホントに面倒だな、世の中って奴は。



それにしても、今年に入ってからロクなことが無い。もともとロクでもない人生だけど、今年は群を抜いてるな。何をやっても上手く行かない。他の人は同じように苦労して今を生きているんだろうか。






クロスゲームの新刊を読んでなきそうになって、新しく買ってきた小説読んで浸って。それだけで、「なんか、、、、まぁいいか。」と思える性格はもしかしたら得なのかもしれない。