Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

ヤジなんぞどうでもいい、と。言えない所に稚拙さを感じる。

みんなの党、発言者特定に声紋分析を実施~セクハラヤジ問題で塩村都議が会見~

なんていうか、発想がガキだなと、幼稚だなと思った。
お互いにね。

こんな人達が政治やってんのかと思うと、なんというかもう、うなだれるしかなくなる困った世の中です。



なんつーかね。いい学校出て、頭もいいはずの人間が「野次を飛ばす」という行為をすることに対して個人的には疑問を感じるし、それを「声紋鑑定します」とか、完全に小学生の教室でのやりとりです。
「ちょっと男子ぃー!」っていうのと同レベルです。恥じてくださいお願いします。



まぁ、それにしても。安倍政権はもっと女性を社会に出したい、働いて欲しいと考えているようだけど、実体はどうなんでしょうか。
扶養控除があるから労働にリミットがかかってしまう、という考えもいまいち合点がいきません。
扶養控除の適用年収は割と低いので、普通にフルタイムで働いたら倍近い年収ぐらい稼げると思うんだよね。そう考えると、扶養控除は働くことへの制限にはなってないように思うんだけどなぁ。
まぁ、誰が家事と育児をするんだよ!って言われたらぐうの音も出ないのですが。


リアルでは、出来れば働きたくないという願望を根底に持つゆえに、扶養控除という制限を言い訳に「あーフルタイムで働きたいけどダメだわー チラ」みたいな免罪符にしている気がしないでもない。
といっても、共働きをしなければ生活を維持することが出来ない、という現状が問題といえば問題なのかもしれないけど。

けど、それって本当に問題なのかな?という疑問も残る。一人の稼ぎで家族全員養うというのが本当に正しいのかな?と思ったりもする。日本の成長率的に。まぁ、それでいて成長出来るのならばソレに越したことはないのだろうけど。



昨今、社会に女性が進出したことによって、本来男性に全て流れていくはずだったお金は、男性にも女性にも流れていくようになり、全体の流出量は変わらないまでも個々の単位で見ると目減りしているのではないかなと思う。
今まで男性がやっていた仕事を女性がするようになり、イスを失った男性は外の椅子を見つけるしか無い。
しかし、そのイスに座るためのハードルは女性という比較対象が増えたことにより必然的に高くなり、椅子に座ることが出来ないヒトが出現してくる。
その上で企業は「人手が足りない」と、移民を検討していたりする。
上げたハードルを飛び越えられるものが居ないからと、外人を連れてきた所で全員が飛び越えられるわけではない。むしろ、その割合は日本人よりも多いのではないだろうか。
なら、そのこぼれた外人はどうなる。どうする。日本人の”当たり前”が通用しない彼ら、来てみたはいいものの受け皿のなくなった彼らがどういった行動をするのか。言い方は悪いが想像はたやすい。


グローバル化が叫ばれる時代になって久しいが、日本人という気質にはそもそも”グローバル”なんてものは合わないのかもしれない。
鎖国というものは、実に日本的で、実に日本にとって都合のいいシステムだったんじゃないかと思ったりもする。まぁ、あくまで「当時は」という話なので現在同じことが出来るわけではないが。



日本人とはなにか、どういう人間なのか、何を好み何を嫌うのか。
今一番見直すべきは「日本人」という人間達なのかもしれない。
そして理解するべきだ。自分達がどれだけ世界とズレているのかということを。