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危うく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 最近、鴨頭嘉人の動画を見まくって頑張って自分を変えて人生変えて笑って幸せに生きていくんだ!って意気込んで動画見てたんだけど一つの本を知って「あれ?やっぱ俺そっちじゃないじゃん。」って気づいた。


 今の仕事でクビを言い渡されたわけだけども、一応別立場の方から「君がまだ頑張るって言うなら、社長に掛け合ってみるけどどうする?ちょっと考えてみて。」って言われていて、今ちょうどそれを考えていた。

クビ理由は実力不足。職人技による仕事なので、簡単に言えば草野球レベルからプロ野球レベルにランクアップすることができなかった、ランクアップする能力がなかったということなのだけれども。

そして仕事をする上で親方に「お前不器用」「運動やってないやつはだめ」「左利きはだめ」と言われ、あぁ俺ってこんなにものづくりに向いていなかったんだ…と気づかされたということもあり、個人的には「もう少しやらせてください!!」なんて熱い熱意はもうすっかり無いわけで。

そういう意味では「いやもういいです」と即答しても良かったんだけど、でももしかして自分の中に「もうちょっとやりたい。もうちょっと続けるべきだ。」と思う気持ちがあるかもしれないと思い、それを探すという意味でも考える時間をもらって考えていたわけなんだけれども。

 

 自己啓発的視点でみたら、ここは「続ける」一択なのだ。人は、あと1メートル掘ればダイヤモンドが出てくるぞ、というタイミングでやめてしまうと。だから”あともうちょっと”を乗り越えられれば成果は出るのだと。

続けることは力であると。続けることにより能力は伸びていくのだと。

出来る。自分はできる。自分は凄腕の職人になれる!と思い、言葉に出すことでそうなれるのだ。むしろそう思い言わなければなれないのだと。

 

 まぁ、そういう感じだ。これらは正しいと思う。僕もたしかにそうだと。全くだと。そう思う。

が、今回の件が今までの転職と違うのは「自分の能力やタイプが全く仕事に必要な性質とマッチしない」ということが明確に発覚したということだ。

できないことを頑張る必要はない。出来ることを伸ばせばいい。自己啓発系はこういうことも言う。

僕は好きだったので気が付かなかったのだが、たしかに思い起こしてみると、小学生の頃のこぎり出来を切ったり小刀を使ったり彫刻刀を使ったり、めっちゃ下手で遅かったのである。物置からたまたま小学生の頃に作った物が出てきて、その出来を見て気付いた。

全然まっすぐ切れてないの。笑えるくらい。当時はなんとも思わなかったけど、こいつは誰がどう見ても下手くそなのだ。

作業スピードも思い出してみれば遅かった。みんなが終わっても僕は半分しか進んでいなかったりとかよくあった。

でも気が付かなかった。好きだったから。プラモ作ったり、何かを分解して組み直したり。

まさに下手の横好きだ。前に別の記事でも書いたけど僕の好きなことは何故か全部出来ないことで、きっと出来ないから楽しいのだろう。そういう性癖なのだろう。まぁその話は今回はさておき。

 

 そんなこんなで、そういった事もあり、僕は人生で初めて本当に心から「頑張ったけど出来なかった」と清々しい気持ちで堂々と言える。

 

 「でもこれだけ続けてきたのにもったいなくない?」と言われ、心が少し揺れ「これこれこうだから僕はやめるんだ」と、辞める理由を探して正当化し始め出して、「あ、この心理状態よろしくないな」と思っていた矢先に、ようやくお出ましこの本に出会った。内容はまだ読んでいないw

大切なことだからもう一度言おう。

内容はまだ読んでいない。

 

 僕のスペックははっきり言って低い。両親が教育に興味がなかったのか単純に金がなかったのかはわからないが、習い事をやったことがないしやれと言われたこともない。塾に行ったこともない。

とうぜん大学に行けとも言われなかったし、自分の今後の人生について話を聞かされたこともなかったし教えられたこともなかった。

だから、とは言わないが、僕はこれと言って何かをやってきたわけでもないし、これと言って何かが出来るわけでもないし、これと言った学歴を有しているわけでもない。

だが、他の人達は違う。何かしら習い事を経験し、スポーツを経験し、両親から人生についての話を教えてもらい、大学を選ぶ頃にはほぼ己の進むべき道を決め、決めた人生で10年ほど経験を積んできた。それが周囲のアラサーの人達だ。当然プラスアルファで恋愛経験出産を経験し、仕事面だけでなく人としての人間性という面でも彼らは大きく成長している。

そんな彼らと同じ土俵に立って勝負になるのだろうか。いやならない。

一昔前、無能の平凡人は無能なりの人生を歩むしか無い、と腹をくくった気がしたのだが、いつの日か日の当たる人生に憧れを感じ始め、そして困ったことにそっちの道へ自ら足を踏み入れてしまうという失態を犯してしまった。無能のくせに。

だが大いなる存在は「だからお前じゃ無理だってばwww」って言うことをこの1年間で教えてくれたのではないか、という気がする。

その最終の締めとしてこの本を僕に渡してきたのではないかという気がする。

 

 

 鴨tube見すぎて僕は本当に”危うく一生懸命生きるところだった”。

社会不適合者はどこかスレている。生き方も、考え方も、仕事も。

無意識にズレて居るから社会に適合しないし、そのズレを常時修正し続けるのが体力的にも精神的にも高負荷であるから社会に適合し”続ける”ことが出来ない。

ならば人と同じ生き方は僕らには出来ない。

他者とはズレた、違った生き方を僕たちは見つけなければならない。

その一つがこれなのかな、ってふと思った。

最近ずーっと頑張って走り続けてきたけど、ふとハッとした。なんか変な日本語だけどw

 

 所詮は逃避なのかもしれないけれども、草野球チームがプロ野球球団に入団できないからって罵倒されることはないように、僕らがプロ社会人になれなくても罵倒される筋合いはないんじゃないかな、って今は思うのである。