やらなかったらそもそもそれは善では無いのではないの?
って話と、いくら施しをされたり助けてもらったり援助してもらったとしても、それが偽善であるのならば「あんたの金は受け取らない。帰ってくれ。」くらい言える様な人間でありたいな、というか言いたいなというか。
というのも、偽善を有難がってしまったら偽善者の思う壺なんだよね。自分たちはダシに使われ、偽善者の好感度アップなり利益を生み出す手伝いをしてることになるんだよね。
そりゃ、その場だけで見たら助かるだろうし良い事してるんだからいいじゃねーか、とか言われるかもしれないけど、ロングスパンで総合的に見たらそれって社会的損失に繋がらねーかと。その場の援助、小さいローコストの援助で本来得られるはずのないリターンを得る。それも意図的に。それっていいこと?そんな奴らがのさばる世の中になるのっていいことなの?
そう考えると、やる偽善ってのは一番たちが悪いなと思う。そして、「やらぬ善よりやる偽善」って言っちゃう人が知らぬ間に偽善を成長させてるんだよな。だからやっぱりそこは突っぱねていきたい。
ただまぁ、どうやって見分けるんじゃいという問題もあるのだがw
そういえば、救援物資の仕分けに関しても文句言ってる人が居たよな。やっぱ役人はダメだとか、運送会社のほうが上手くやるんじゃないかとか。
でもそうじゃないよ。宛先のない物体が大量に送られてくるんだぜ?しかもそもそも食料、衣料品、医療品、飲料、などなど分類分けすらされてない。そんなものをまず分類分けして、各地の非難状況や避難者の人数、各避難所に有るもの無いものを踏まえたうえで、今必要な物をどこに配るか決めて、誰に運んでもらうか決めて、ってそう簡単にできるもんじゃない。
運送会社だって、すべての荷物は明確に宛先があるからスムーズに受け入れも送り出しも出来るんだ。宛先がないものがあれだけ大量にあったら例え運送会社でもさばけない。むしろ、どこに何を送るか判断できる人間が居ないだけ役人がやるよりダメかもしれない。
ボランティアも供給過多のようで。これも一緒だよね。目的やそれに必要な人員が明確に決まっていない以上、そこにいくら人間が居ても活用しきれない。ボランティアってやったことないから知らんけど。
っていうか、ボランティアってすげーよな。自分の時間と、金と、体をなんのリターンもない誰かのために提供するんだぜ?凄いよ。ありえないよ。っていうか、平日の朝からボランティア行ける人って普段何してんだ、って思ったりもするよ。まぁ偉いけどさ。
俺はまぁ無理です。そこまで善人じゃないってのもあるし、そこまで献身的でも奉仕的人間でもない。それに仕事がありますからw
言い訳するとさ。もうこれ以上人間要らないじゃん、って思うんだよね。今の状況って、サッカーボールをチーム全員が追いかけてるのと一緒なんだよな。幼稚園児のサッカーレベル。
各ポジションて言う役割もあるし人数も割り振られてる。全員でボール追いかけてたらクリアされたボールをすぐさま拾えないし、適当にクリアしたボールがゴールしちゃうかもしれない。
仕事とかも一緒でさ。適材を適所に適数配置しないと、いくら素晴らしい人材がいようが、適所に配置しようが、数間違えたら機能不全起こすし無駄も出る。
だからこそ、「ここにはこれ以上人間いらないな」って判断しちゃうんだよね。消極的で結局何処にも入っていかないから何もせずじまいだったりするんだけどw
ただまぁ善意の塊みたいな人がこんなに世の中にいるんだから、その方々頑張ってくれって感じ。別に俺はどんな状況でも他人の手は特に借りないから、「やることやらずに要求は一人前か!」みたいなことにはしませんので。
昔から問題は全て自分一人で解決してきましたので。むしろそこに誰かが入ってくると歯車狂っちゃうんで要らないです。一人で何とかするように計画立ててますんで。
で、なんの話だったっけ?偽善者か。
困ったことにこの世の中、勝つのは大体真性の善人じゃなくて偽善者みたいなやつだったりするんだよな。
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