Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

コメントはオブラートに包まれていないからこそ読む価値がある。

anond.hatelabo.jp

よくもまぁここまで書き出せるもんだw

 

で、この手の…というかこういうことを言い始めると他人との接触を絶つしか方法はないわけで。

実はこういうのはネットの社会だけでなく現実世界にもちゃんといたるところに存在している。

だが、それは「腹の中」から出てこないだけで、みんなこういうことを腹の中に秘めてる。

リアル世界でこんなものを放出していたら社会的立場がなくなるからな。

でもネットではいくら放出したって失うものがない。何処の誰だかわからない奴らに対して、何処の誰だかわからない奴が何かを言う。お互いに誰かわからないからこそ腹の中身をそのままぶちまけることが出来る。それは良い面も悪い面もある。

 

ネット上での情報はSNSの普及により、大量の書籍の山から目的のものを探しだす、程度だってものが、砂漠の真ん中でシラミを探す、程やっかいで面倒でノイズが増えまくってしまった。

当然、ノイズといえど有益なものもあれば本当にただのノイズ、悪質なノイズが入り混じっている。

SNSが普及しまくってしまった今、今まで以上に情報の取捨択一にエネルギーを使わなければいけなくなった。

この、読むに値しないコメント、というのは極端な話「エネルギーを消費してまで情報の取捨選択なんてしてられねーよ」と、宝探しを放棄している状態だ。

別にそれが良いとか悪いとか言う気はない。

が、それはボケーっとテレビ見てるのと一緒だぞ、とは言っておく。

そして、そのすんげー疲れるノイズ除去をお前らが大嫌いなマスコミが実はやってくれているんだぞ、とも言っておく。

 

別に年寄りみたいに頭空っぽでテレビをぼけっと見てもいいけどさ。

俺は嫌なのでコメントのムカッとすることはあるが放棄はしない。

まぁ、何に勝ちを見出すかは人それぞれだが、ネットの価値はこの有象無象のコメントだと思ってるので、それに価値を見いだせないのであればスマホやパソコンを捨てちまったほうが幸せになれると思うけどね。

時間を有効に使いたいのなら尚の事。

 

無駄学 (新潮選書)

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「嫌なら見るな」は禁句!と言うのは少し可哀想…。そんな時代です。

news.nicovideo.jp

「嫌なら見るな」「分かるやつだけ分かればいい」とプロが言っちゃぁいけねぇぜ。

と言ってしまうのはちょっと可哀想な時代だぜ?と思うよ。

 

なんていうかさ。こういうのは言わせてんだよ、見てる側が。消費者側がプロにこの言葉を言わせてるの。

つまり、イラッっときてカチンときて、これを言ってしまいたくなるようなことをプロに言ってるんだよ、消費者が。

プロだって同じ人間なのに、消費者は言いたいこと好き放題言ってるくせに、プロにはその反論も反抗も許さないという、かなり傲慢な態度だと思うのよね。これは。

 

例えば前に、寿司屋に来た客が「あたしダイエットしてるから寿司シャリ抜きね」と言って「お帰りください」と追い出された話があったが。

この「嫌なら見るな」はこの「お帰りください」なんだよね。

ただ、それに対応する適切な言語がないから「嫌なら見るな」になるわけで。

まぁ、普通に「お帰りください」でもいいんだろうけどさw

 

だが、この問題のツイートをしている小池氏は後のツイートで

「誰からもツッコまれないように、なンて考えながらでは、面白い作品は作れない。ツッコミ上等。『全ての人を喜ばせようとしない事』。誰に向かって作品を作るのか、そこがブレてはいけない。(小池一夫)」

 とツイートしている。

 

ん?

それって要するに「嫌なら見るな」ではないのだろうか?

 

 

スターウォーズが盛り上がってるのでスターウォーズなんて好きじゃない!って言ってみる。

この間テレビでやっていたのでかなり久しぶりにスターウォーズ観ました。

なんか昔よりも楽しめたというか、面白かった気がします。

 

ってあれ?それじゃあタイトルとちげーじゃんって話なんだけどw

 

個人的に感覚がガキなのでわかりやすいのと楽しいのが好きなんだよね。

感動モノとか泣けるやつとか小難しいやつとかメッセージ性の高いやつとかじゃなくて、単純に笑えたり楽しい気持ちになれる映画が好きなの。

だからスターウォーズよりもスペースボールの方が好きなの私。

どんな作品も笑って泣けてワクワクする。そんなのが一番いいと思うの。

 

なんて。あんまりにも盛り上がりまくってるから天邪鬼発動なのと、あまりにもスペースボールが話題にならないので無理やりぶっこんでみた今日この頃。

 

 

ネット上のヘイトコントロールにハンマービートだ!

gigazine.net

検閲までする必要はないと思うんだけど、ヘイトコントロールというか、どこか問題ない所にヘイトを逃がしていく必要があるんじゃないかなぁと。

ゼノブレイドで言うところのラインやダンバンじゃないけど、ヘイトを一手に引き受けて耐えるなり躱すなりしてヘイトを消化していく。そんな存在がネット上にあったら良いのになぁ。

 

各自がもうちょっと自重というか、相手を尊重して欲しいところだけど無理だろうしね。

というか、相手がちゃんと生きてる人間だってことを忘れてる人が多すぎるような気はするよね。

 

そう考えると、「いいねボタン」みたいに「酷いねボタン」もあったほうが良いのかなぁと。

で、それを押された、ないしは蓄積したら排除とかね。

そういうのやっぱり必要なのかも。

 

ヘイトスピーチと向かい合う クリエイターのためのWEB護身術

ヘイトスピーチと向かい合う クリエイターのためのWEB護身術

 

 

動画に付くコメントは見ないほうが身のためだと思いませんか?

趣味で動画を投稿しているのだけれども、やっぱりどうしてもイラッと来るコメントや、カチンと来るコメントってあったりする。

 

もちろん、やっててよかったなと思えるような嬉しいコメントもある。

 

が、どうしてもカチンと来るのがあるw

そのイライラのやり場をどうしたらいいのかと思っていたのだけれども、黙ってNGに放り込んでおけばいいんだよな。うん。

内容にもよるけど、確かに「そいつはごもっともです」と思えるような批判的コメントなどは参考させてもらうが、単純にバカにされている、貶されているのもあるわけで。

そういうのは容赦なくNGに突っ込ませていただくことにした。

「うひゃひゃw貴様のコメントはNG逝きだぜーw」と思いながらNGに突っ込むのはそれはそれでうっぷんを晴らせるので今後はそうしていきたいと思う。

 

それにしても、役者でもバンドでも監督やらでも、何かを創りだしたり演じたりしている人にとって、エンドユーザーの声と言うのはあまりいいものではないなぁと思う。

昨今はネットのせいでなんでもかんでも気軽に書き込めてしまう上に、ちょっと検索すればすぐに目についてしまったりで、精神安定上エンドユーザーの声に触れるのは良い面悪い面ひっくるめても総合的にはマイナスだと思うかな。

手紙みたいに相手に届けるのに労力もお金もかかるものなら「すげー好き」か「すげー嫌い」という風にどちらかに振り切ってるくらいの人の意見しか届かないけど、ネットではほんの僅かな好き嫌いがバッチリ目についてしまうので、そういう面ではネットは凶器にしかならないなぁと思ったり。

 

ま、なんにせよ書いてる側は特に相手の事とか何も考えてないんだろうなぁと。

あんたが書き込んだそのコメント、面と向かって相手に言えんのか?って聞いたら多分ほとんど言えないと思う。そんな酷いコメントよく見るよ。

 

相手のことを特に配慮せずに書き込まれたコメントなんだから、書き込んだ人に対してもそこまで配慮してあげたり気を病んだりする必要はないんだよなって思う。

 

サラっと書き込む。サラっとNGに突っ込む。

お互いにそれくらいドライな感覚で見ないと精神病むなぁと。最近思いました。

 

とっさのひと言で心に刺さるコメント術 (PHP新書)

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"意識高い"が苦手だと思うようになった理由

www.co-media.jp

まぁこのインタビュー記事は大して読んでないんだけどw

流石に興味のない人のインタビューであの文章量は読んでられないw

 

で、意識高い、っていう話なんだけどね。

個人的には頑張っている人、チャンレンジする人に対して無理だと言ったり冷笑したりするのは昔からなので、別に日本が末期症状ってわけではないんじゃない?とは言っておく。これが末期症状なら日本はとっくに沈没してますから。残念。

 

で、オレが何故意識高いがあんまり好きじゃないかというと。

オレにその力はなかったから

と言う理由。ただそれだけ。

 

オレも昔は意識高かった。頑張ってた。色々やってた。色々考えたり、色々見たり、このインタビューが載ってるサイトとかモロそうだけど、こういう如何にもなWEBサイトとか書籍とか読んでた。

でもある時ふと気付いたの。オレは”出来ない側”の人間だと。”やれない側”の人間だと。

それ以来、なんかもういいや。って思ってそういうのやめちゃった。すげー無理してやっていたってのもあったから。

 

この世にはさ。二種類の人間しか居ないのよね。出来る奴と出来ない奴。勝てる奴と勝てない奴。好かれる奴と好かれない奴。

何を目指すかは知らないけど勝者を目指して意識高めて頑張るわけじゃん。でもさ、勝敗を決する最後の決め手はそういうのじゃないのよね。

生まれ持ったものというか個性というか、努力や勉強や修練では身につかないもの。そういうのが結局土壇場の勝敗を決めていくのよ。

 

で、人はいずれ死ぬでしょ。それが遅いか早いかの違いだけで。

で、ちょっと冷静に自分を見て見るのよ。

友達いるか?

誰かに愛されてるのか?

県で一番とか日本一になれるようなにかがあるのか?

って考えるじゃん。無いじゃん。

いま現段階で何も持ってないような奴がこれからの人生持てるようになるわけ無いじゃん。これから持てるようになるくらいなら既になにか持ってるじゃん普通。

 

つまり自身の低スペックに気付いたわけよ。で、低スペックがあがくのはつかれるじゃん。軽自動車が高速はしたって辛いだけでしょ。高級車は同じことしてるのに悠々だよ。

勝てない勝負しても辛いだけじゃん。だからもういいやって思って。

身の丈の人生歩めばいいんだよ、って。

農民は農民なのよ。下克上で上に行ける奴なんて稀。イレギュラーなんだから。

 

だから地を這うように生きてるわけなんだけど、そういう人間からすると意識高い系はまぶしすぎるのよね。エネルギッシュすぎるのよ。ついていけないのよ。疲れちゃうのよこっちが。

だから別にバカにしたりはしないけど、近寄られると疲れるからこっち来ないで。って感じ。向こうからしてもこっちに近寄るメリット無いでしょ。だからちゃんと住み分けましょうよって意味よ。

でも、何を勘違いしてるのかこっちに干渉してくる奴が居るのよね。だから嫌われるのよ。一部なのかもしれないけどさ。

大事なのよ住み分けってのはさ。争いは同じレベルでしか発生しないのよ。議論は同レベルでないと出来ないのよ。友達も同じレベルが集まってくるのよ。

 

世の中の格差って案外気づいてない人居るよね。

金がねーからって結婚して子供も居るのに小さい賃貸とか市営住宅とかに住んでるのもいればさ。ちょっとしたプレゼントで高級車とか家とかくれる親とかいるのよ?

高校や大学まで行くと同じくらいのレベルが集まっちゃうから気づきにくいけど、公立小学校時代の同級生の今とか、家庭環境とか見てみなよ。目も当てられないぜ。

もう住んでる次元がちげーんだよ。

 

その辺を理解してさ。みんなちゃんと自分の世界で生きてろよと。

無理して違い世界に行こうとするなって。なんかいきがって他人に押し付けてくるなって。自慢すんなって。

 

そういう意味では階級社会は理にかなってるとも言える。気がする。

階級が明確じゃないから自分の正確なポジションが理解できないんだよ。勘違いしちゃうんだよな。

 

ま。意識高い人は別にいいんじゃないかと。頑張って凄いことしてればいいよ。

おれは耳と目を閉じて口をつぐんで孤独に暮らしますから。

 

意識の高いデブ

意識の高いデブ

 

 

逆に聞きたいんだが

news.livedoor.com

 そんなときは、激しく叱咤するのは厳禁。また、人格を否定したり、誰かと比較したりするのは避けて、相手の「行動」を追求するようにするのがコツだとか。

 逆に聞きたいんだ、人格を否定することが効果的に作用するってどういう場合でどういう相手なんだよと。

 

意味分かんないんですが。

 

否定ばかりするのはバカだから。知性がないから否定する。 10分で読めるシリーズ

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