Goin'にMy Way.

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音とアートとデザインと

森山直太朗新曲、名曲と呼ぶには辛すぎる

まぁ、聞いたこと無いんだけどw
ただ、アートがどうのこうのデザインがどうのこうの言ってるのでちょいと。

にしても、軽く「死ねばいい」と言ってるだけでちょいと問題になるなんてねぇ。バカ臭いよな。それだけ森山直太郎の歌詞は理解されてないし、それだけ上っ面しか見ない人間が多いってことになるんだもんね。
っつうか、これがダメなら死ね死ね団の歌とかどーすんだよw

余談なんだけど、引用元のツカサネットってのが個人的に好きじゃないのよね。ココの記事ってプロの記者が書いてるものじゃなくて素人が書いてるものだから。そうなってくるとどうしても自分の主観ってものが少なからず影響されるし、それで稼いでる人間じゃないから内容の信憑性ってのも軽く疑わしい。それに「それ手前のブログに書いてろよ」って記事が結構ある。まぁ、これに関してはその辺のプロもそうだけど。俺なんかは所詮ブログに書く程度の記事だからブログにしか書いてないんだけど。
ちなみに、デザインと言う言葉も個人的には使いたくないのよね。デザインと言う言葉を未だに理解出来ないし、納得出来る和訳をまだ見つけられない。それ以上に、俺がデザインなんてものが全く出来ないから、余計軽々しく口には出せない。ま、どうでもいい話だけど。


とまぁ、そんなことはさておき。


アートとデザインって結構混同されがちなんだけど、実は結構違うんですはい。
強引な言い方すると、作者の好き勝手やってるのがアート、クライアントの意志意向にそって何かを作るのがデザイン。
といっても、デザインってもともとアートだし、アートってのもデザインの一部でもあるし、明確には別けられない所でもあるんだけど、日本社会で使われてるデザインってのは、クライアントの~なのよ。

で、だからなんなのよ?っていうと、日本のJ-POPは少なくともアートではないな、と俺は思う訳。作品には必ずプロデューサーなりレーベルなりのバイアスがかかる。つまり、作り手が作りたいものを作ってる訳じゃないってこと。だってそんなもんは売れないからな。大衆が求めるもの、売れそうなもの、そんな音楽を作る、と言う行為をしてる時点でアーティストじゃない。しかも俗にいう歌手が実際に歌や歌詞を作ってる訳でもない。ナノに、彼らをアーティストと呼ぶ。そこに疑問を感じる訳。
ハロプロやらエイベックスやらね。所詮、会社の商品でしかないのにねぇ。タダの駒なのにどうなんだろう?なんて常々思ってる訳で。


まぁ、だからってどうこうって話じゃないけど、世の中には色々と頑張ってる人が沢山居るのに、そういう人が評価されず、こういう会社が人気や評判を独り占めしてる状態が何となく気に食わないのよねぇ。別に俺が何かやってる訳じゃないからどうでもいいと言えばそうだけど、そういう日本社会には嫌気が刺すよねぇ。



いい加減、盲目的でミーハーな国民体質をどうにかしてほしいと思うわ。