Punk&Game

俺の記事を読め! 社会派サブカル悟り世代バラエティーPunk&Game、ごらんのブログで更新中☆

リアルとネットは光と影

 最近メルカリで横取り?みたいなことをされた。

別に値下げしてくださーいなんてやり取りをダラダラしていたわけではなく、商品の状態などを「買いたいので教えてください」と問い合わせていたのだが、出品者さんがちょっと待っててね、と返してくれて待っていた間にいつの間にか売れてしまっていた。

で、ググってみるとよくある話のようで、メルカリはルール的には早いもの勝ちである。問い合わせているお前は取引相手ではない。買って初めて取引相手になるの。グズグズしているお前が悪いのだ、と皆が口を揃えて答えていた。

ルールになければやっても良い。ルールに違反していないんだから間違ったことではない、と言う認識らしい。

個人的には、例えば実際の店舗で商品を手にとってお店の人と話をしている間に、それを奪い取って買う人、のような印象を持ったが、メルカリはそういうところらしい。そもそもメルカリ民はあまりいい話を聞かないので、ここはそういう世界なのだということでとりあえず納得はしたのだが。

 

 話は変わって、最近多い交通事故死。アクセルとブレーキの踏み間違いとか右直事故とか。まぁ、なんかもう鎮火してると言うか、もはや盛り下がってしまったあとだが。それもまたなんだかなぁと思うところだけれども。

歩行者が横断歩道に居ても停まらないとか、制限速度とか、道路交通の話はやたらと盛り上がる。路上で車両をほぼ運転したことのないルール守れ厨と、日々路上に出ている実態派とのバトルが耐えない。埋まることのない両者の溝は喫煙者と嫌煙厨とのバトルのようにいつまで立っても本気で殴り続けるのでアクセス数稼ぎにはちょうどいいのだろう。

って話がそれたが、何が言いたいかって言うとこちらはかなりルールを守れ、という意識が強いと感じると言う話。強すぎるほど。

 

 

 最近このネット上のカオス具合がひどすぎてとてもとても疲れている…。メルカリの件だって、実際の店舗やフリマみたいに出品者と直接やり取りするようなお店でそんなことをやるんだろうか?

行列の割り込みとかもそうだけど、別にそれらは法律で禁止されているわけではない。だからやっても良いいから皆やっていて、やられても「そういうルールだから仕方がない」って思う?思わないでしょ。リアルならやらないでしょ。

じゃあリアルでやらないのになぜネットになるとやるのだろう?

路上の話もそうだ。制限速度なんてほぼ形骸化してるようなものだし、ルールを守れとうるさい割に無灯火・反対車線走行・一時停止無視と違反を当たり前のようにやる歩行者や自転車を実世界でどれだけ注意している?していないだろう。

 

 なんかこの、ネットとリアルの乖離が妙にきになる。そう思って最近は嫌な感じがしそうな話題はネットでは見ないようにしてはいるけど。

若い世代はネット=リアルらしい。俺らの世代ではネットは顔を隠して言いたいことを何でも遠慮なく言いまくる場みたいな世界であるということを身をもって体験してきた世代だなと思うので、ネットとリアルを必要以上にリンクさせるのを嫌がる傾向にあると思う。

逆にいうとネットであーだこーだ言っているのは自分たちの世代なのかな、と思ったりもする。

そうするとそれはそれで、なぜそこまで読解力が低い上に視野も狭いし道徳観念も欠落しているんだろう、いい歳した大人達が…とも思ってしまうわけで。

 

 

 かたやリアル世界に両足をついている人達は沢山の人達と繋がり、やりたいことや夢に向かって日々動いていて、その成果がメディアで紹介されたり、眩しい笑顔で写真に写っていたりする。

 

このコントラストというか光と影感が最近更に強くなってるのかなと思う。可視化されただけかも知れない。というか、可視化されたことにより更に色濃くなったと言うか。

今までなら見ることはなかった情報に触れて負の感情を増長させ、ネットの利便性を活かしまくってリアルをさらに充実させる。

そんな光が強くなるほど影が濃くなる減少が起きてる気がする。

貧困の差が広まり、資本主義が極まってきてもいる。

 

 前記事で時代が変わってきた、と書いたが、もしかすると0か1かと言う世界に近づいていっているだけなのかも知れない。

その世界においてやはり我々は、人生の目的地を明確に定め、そこへ向かうにはどの道を選べばいいのか、何を使うと速くたどり着けるのか、というような生き方というか考え方を早く持つべきだと思う。

目的地到着のために余計なことはしていられない、余計なものは見ていられない、目的達成になんの益にもならないから見ない、というようにしっかりと一本筋を立てて生きていかなければ用意に影の側に転落してしまう明日が待っている、という怖さ感じたような気がした。

良くも悪くも、何も考えずにとりあえず生きる、がまかり通らない、そこには不幸しかない、そういう時代なんだなと認識する必要があるのではないか。

 

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いつもと変わらない今日と明日

 今日はいつもどおり今日だし、明日もいつもどおりただの明日。

そのなんでもないただの毎日の中で、昨日より今日、今日より明日、と日々考え比較し変化していくことが出来ない人にいい仕事は出来ないし、世の中は変えられない。

 

最近ようやく20年間止まっていた時代が動き出した感じがするなと思っていたけど、平成から令和に変わるだけでここまで大騒ぎするあたり、俺の感じたことは勘違いだったかな、この世界は未だに昭和なのかな?なんて思ったりもしている。

元号なんてわかりにくいから使うのやめようや、なんて色々なところで話を聞くけど、元号が変わるからと無意味に令和って使ったりしてコイツラ馬鹿なのかなと本気で思っているところである。

 

 今日と明日で何かが変わるからって、自分や世界も変わるわけではない。毎日積み重ねてきたことをふと振り返った時、自分の変化に気づける。

 

 今この時代を10代や新社会人として行きていける若者たちが羨ましい。本当に今の若い子たちすごいよ。俺らのときとは比べ物にならないよ。

 

 迷いに迷って遠回りしまくってきて、気がついたらおっさんになってしまったけど、若い子たちに負けないように自分も己を磨いて戦っていこうって思うこの瞬間。

 

 ちょうど今年から、自分はこう生きたい、こうなりたいという道を割と明確に見出してそれに向かって進み始めることが出来たので、本当に若い子たちには負けたくない、おっさんの意地としてこれからも腕を磨いていこうと決意する、なんでもない一日の終り。

 

 

一つを変えると、それに付随する周囲も変えなければいけないということに気が付かない人たち

www3.nhk.or.jp

 最近話題の老人プリウスがアクセルとブレーキを踏み間違えて人を殺してる案件。

この手の話が出てくるとすぐ、プリウスのシフトレバーがわかりにくいだとか、ブレーキとアクセルがペダルという形式でしかも並んでいるのが悪いとか、いろいろな話が出てくる。

だがブコメにも書いたのだが、ブレーキかアクセルをペダル以外にする場合どちらかの手を空け泣ける必要性が出てくる。そしてその為にはハンドルを片手で操作することができ且つそれでも安全に運転できるハンドルへ変更しなければいけない。そして、たとえば片手をアクセル操作に使用する場合、急ブレーキなどで運転者が正面方向に押されるGがかかったときにアクセルが暴走しない仕組みも必要になってくる。

そしてそうなってくるともはや既存の運転方法とはかなり違ってくる変わってくるのですでに取得している運転免許で運転して良いのかどうかという問題も発生してくる。今までの傾向などを踏まえ常識的に考えれば既存の免許には限定が発生し、新しい方式の車を運転するためには限定解除が必要になってくるだろう。

そして何より、エンジンかけて発進する前に触ってから停車してエンジン停める前までまったく触らないATのシフトレバーが少し違う程度のことすら対応できない人たちが、そんなにガラッと変わった操作形態を使えるわけなくね?

MTのシフトレバーが全然違うのになってるならわかるわ。アレは運転中しょっちゅう触るし間違えたらエンストしたり急激なエンジンブレーキかかっちゃったりして危ないから。でもATのシフトレバーなんぞ触らなくね?

っていうか前進だから上に倒してD。バックだから下に倒してRとか、進行方向とマッチしてないからわからないとかホント意味不。マニュアルは?え?っていうか既存の普通のATシフトレバーはPからみたら全部下に下ろすし、DからRは上に行くんですが?

 

 と。話がずれてしまったが…。さて。ウダウダと色々言ってる人たちはそこまで考えているのだろうか。そして仮に現実世界がそうなった時文句を言わずに対応するのだろうか。

否。そんなわけない。そこまで考えてたらこの程度のレスばかり集まるはずがない。もう一歩先の議論ができるはずだがこの程度の内容で盛り上がってるあたり本当に何も考えていないんだろう。

 

 じゃあどうすんだよという話だが、本気でこの手の事故をなくしたいのなら運転の操作方法を全く新しく考え直すしかない。これからガソリン車から電気自動車に(おそらく)シフトしていくだろうといういいタイミングなので、操作方法をもう安全第一でガラッと変えてしまおう。

そして運転免許の仕組みもしょうがないからあたらく変更しよう。

でもそんなこと100%ありえない。誰もがなくしたいとは思っているだろうけどそれに付随するコストをペイする事ができる人が居ないからだ。それを押し通す政治家も居ないからだ。

個人的にはATは車を”動かすという方向”に対して人が干渉するファクターが少なすぎると思っている。だってシフトスイッチ(形状はレバーだが仕組みはただのスイッチなので敢えてスイッチと書く)をDに入れたらもう車は動くのだ。

対してMTはシフトレバーで物理的にギアを1速に入れ、回転数を少し上げつつクラッチで動力を少しずつタイヤに伝えていく。

 

ATは勝手に動くものを御するシステム、MTは動かないものを動かすシステムだと思っている。何もしなかったり間違えたら勝手に動いてしまうのがAT、間違ったら止まってしまうのがMTだ。

そう言う意味では日本人はラクしすぎだと思う。運転がラクであってはいけないと思う。疲れるから休むし、難しいからこそ慎重になれる。それをペダル一つで車が動き、カメラであっちこっち見えて、追突しそうになったら止まってくれる。そんな車に乗ってたら人間緩むのは当然なのでは?

それが安全に寄与することもあるが、使用する人間の気が緩んでたら意味なくね?プラマイゼロじゃね?っていうかこういう事故起こってるならむしろマイナスでは?と思うのだがどうだろうな。

 

便利になるのが正義だという風潮だからこんなことが実現するわけはないが。

グラディウス400 初乗り感想

www1.suzuki.co.jp

 CB250Fからグラディウス400へ乗り換え、天気の関係で30分ほどしか走れなかったんですが、感じたことを残しておこうと思います。ファーストインプレッションってやつ?

 

 まずは重量。CB250Fは158kg、グラディウス400は206kgで、ほぼ50kgも重くなってますがそれをあまり感じません。乗り換えるバイクを探している際にこのグラディウスの200kg超えという重量が、自分に扱える重量なのだろうかと非常に心配していたのですが全くの杞憂でした。

取り回しに関しては全体重量が50kgも増えているので当然押し引きするのに必要な力は増えてますが、教習所でスーフォアを取り回ししていたはずなので押し引きに関してはあのイメージで良いと思います。

ただ、スーフォアと違うのは跨って車体を左右に傾けたときの重量感。これが全然違います。CB250Fから50kgも増えたとはとても思えない感覚です。確かにCB250Fに比べれば重くはなってますが、「ホントにこのバイク50kgも重くなったの?!この重さで??」って感じるくらい。軽い…っていうのはちょっと違うのですが、スーフォアのように下手に傾けたら支えきれない重量というか不安感というか、そう言うのが全く無いです。多分、並列4気筒で重たいシリンダーが4本高い位置にあるスーフォアと、Vツインでシリンダーの片方がほぼ前に倒れ込んでいるグラディウスとの違いなのかなと思います。

 そして足つき。これは普通です。785mmですがVツインなので細身で、足つきは普通のバイクと言った感じです。高くもなく低くもなく。自分は172cmですが股下が76cmしか無い短足なのでかかとが浮きますが、スーフォアもCB250Fもグラディウスも、足の付き方はほぼ一緒でした。

 この重量と足つきに関することが一番不安だったのですが、跨ってみてちゃんと足もつくし、何より思っていたよりも全然重くない。あとは低速のコントロールがうまく出来るかが若干不安でしたが、それも杞憂でした。

 

 自分は停止が教習所時代から下手くそで、それだけで立ちごけしたり、バランスを上手く維持できなくて左足ですごく踏ん張ったり、右足出したりしてました。それは免許取得後でもあまり変わらず、CB250Fを1年乗っていてもコケたりすることは当然無いですが、スマートに停車して軽く左足で支えるというのがなんか上手くできてなかったんですが、グラディウス400に乗ったらびっくりするくらい上手く停まれました。

 それどころか低速での安定感はむしろCB250Fなんかより全然あって、CB250Fは下手をするとすぐにパタンと倒れていきそうな感覚だったのですが、グラディウス400はどっしりとしていて、低速でありながらもちょっとのことでは倒れないような安心感があります。ここで言う低速というのは教習所でいう所謂一本橋やクランクのように、リヤブレーキを引きずりながら半クラで低速を維持しつつ曲がったり真っすぐ走ったりするアレです。これは本当に驚きです。むしろ重いバイクのほうが乗りやすいという新発見です。

 

 パワーに関してですが、250ccから400ccです。当たり前ですが全然違います。軽自動車から普通車くらい違います。あぁ250ccって本当に軽だったんだな、とすぐに実感しましたw 

どのギアでどれくらいの速度でどれくらいの回転数で走るのか、というのはこれから探っていくところですが、70km/hや80km/hからでもまだまだ全然余裕の加速をしていくのでスピードの出しすぎには注意しないといけなさそうです。

CB250Fでは6速で80km/h出すと、もうエンジンの8割くらい力を出している感があって振動もビリビリし始めて、確かに80km/h出すのはこれと行って苦ではなかったのですが、優雅に流す、というようなエンジンの回り方ではなかったです。

ですがグラディウス400はVツインだから、ということもあるかもしれませんが振動も少なく、80km/hはまだまだ余裕があり優雅に走れます。

 

 振動の話が出てきたのでそれも一つ。CB250Fは単気筒の中では振動が少なく、ショートストロークなので単気筒の割には回るエンジンだと言われていますが、確かにドコドコという振動はごく低速回転以外では全く感じないエンジンでした。ただ、ビリビリとくる微細な振動はなかなかあるバイクだったなと思います。

CB250Fは4000回転から5000回転あたりの間だけ振動がほぼなく快適に走れます。が、それを下回るとドコドコし始めるし、上回るとビリビリしだします。街乗りでは本当にちょうどいいところだけ使えて良いのですが、80km/h以上で流れいているようなバイパスや高速では常にそのビリビリが発生している状態になります。

初めて乗ったときは「こんなにビリビリするもんなの!?」って思ってバイク屋さんに聞いたりネットで調べたりしていたのですが、バイク屋さんはまぁこんなもんだよと言い、ネットでは振動が少ない!とどこを見ても書かれていたので、バイクってこういうもんなのかなと思っていたのですが、グラディウスに乗り換えて「あぁやっぱり振動多かったんやなw」と気づきましたw

グラディウス400はまだ乗り込んでいないのでわからないのですが、高いギアで低回転だとステップまわりがやたらとブルブルするのが気になりました。グラディウスは排気量が多くなったとは言え、それでも4000回転5000回転あたりが常用域かな?と感じたのですがどうでしょうか。

 

 あとびっくりしたのは曲がりやすさです。これはCB250Fよりもパタパタ倒れます。え?なぜ?

その上、CB250Fよりも安心して深く倒せます。自分は下手なのであまりバイクを倒せないのですが、CB250Fで「あぁ怖いなぁ倒すのはこれくらいかなぁ」と感じるところよりもグラディウスは更に深く倒せます。そしてそのさらに深く倒した角度での安心感が段違いです。タイヤの太さや車重の関係かもしれませんが、より倒せることは間違いないです。このあたりも自制して走らないと事故りそうなので注意しないといけなさそうです。

 

 

 といったようなところがファーストインプレッションですかね。大して乗っていないので早く乗りたいのですが天気がずっと悪いのでしばらくお預けですね…。

 

 世間には大型おじさんがいっぱいいるそうですが400ccに乗ってみてそれは間違いないなと思いました。これに乗ったら小排気量には確かに戻れないです。

自分は軽自動車って色々な部分で疲れるからあまり乗りたくないと思うタイプです。少なくとも5ナンバー以上の車が良いです。ただ家の車庫や周辺の道路状況、積雪時の道幅減少等を考えると4000以上の全長や1700を超える全幅はどうしても使い勝手が悪いです。だけどやっぱりそれなりに速い車が良い。ということでスイスポを選び、そしてそれが現状でのベストチョイスだと1年乗って改めて実感しています。

バイクに関しても同じです。250ccは、軽自動車に乗ってイヤだったことを同様にトレースしていたことに気づきました。パワー不足や車格車重が小さいことによるドライバーへの疲労蓄積など。もう250ccには戻れない。そんな気がします。とは言ってもリッターバイクは自分にとっては明らかに無用の長物であるとは思うので、大型に乗るとすれば650ccや750ccあたりになるだろうと思います。まぁそれはこれからグラディウスに乗りまくって、それでも大型に乗りたいと思うか否かという部分なので今どうこうという話ではないですけどね。

 

 巷では400が一番中途半端だと言われていますが、乗ってみて思ったのは一番中途半端なのは250ccではないか、と感じています。自分が一番最初に乗ろうかなと思ったバイクはジクサーだったんですが、今思うとそれはまさに正解だったのかもしれません。自動車専用道路や高速を走らない環境なら125ccでも良いかもしれないですけどね。

軽さを取るには250ccはやや重すぎると思います。ジクサーや原付二種のように100kg台前半のバイクの方が手軽に乗れるし扱いやすい。

パワーに関しても250ccでは物足りない。実生活で軽自動車で何ら不満はないと感じる人はいいかもしれませんが、自分のように不満を感じる人に250ccは不足です。

まぁそうは言っても大型界隈の方からは「400ccww」と思われているんだろうなぁと思うのであまり大きいことも言えませんがw

 

 ちょっとしか乗れてませんが、スイスポのようなジャスト感がするので今の自分にちょうどいいバイクだと思っています。

最初から400ccを選んでおけばよかった、とも思いますが車と違って排気量やエンジンタイプやスタイルで乗り心地がこうも違う乗り物なので、色んなバイクに乗るというのがバイクの楽しみ方なんだなというのも乗り換えることで気づけました。

 

 というわけで今回はこの辺にしたいと思います。また1000kmとか3000kmとか、たくさん乗って考えが変化してきたらなにか書こうと思います。

 

マイスト 1/12 完成品バイク スズキ GSX-R750

マイスト 1/12 完成品バイク スズキ GSX-R750

 

 

出来ないやつをさらに蹴落とし、出来るやつの足を引っ張る。

b.hatena.ne.jp さすがに「俺は優しいのにー」とかは言わんけど、いわゆるこの優しい男って毒にはならないけどクスリにもならないタイプだよね。

それってさ。さほど実害無くね?

優しいを自称してる辺り痛い奴らではあるけど、重いっていうのも結構関係が進展してからの話じゃね?

いわゆる好きでも嫌いでもない、普通や興味ないというカテゴリに入れられてる人間なわけなんだけど、それにしたってちょっとコメント辛辣だなぁと。

え?そこまで言う?っていう感じで。

私はこれを死体蹴りと名付けることにした(冗談だぞ笑うとこだぞ)。そして死体はリザレクション掛けないといつまでたっても息を吹き返さないので、誰かがリザレクション掛けてあげようよ、というのが今回のお話。

 

 何ていうか貧困化がじわじわ広がってきたせいなのか、他者を攻撃したり下に見たりすることで自分を保とうとする人がすごく増えてきている。

犯罪者とかそういうのは叩かれてもしょうがないかなぁ、とか思うんだけど、こういう味も素っ気もないやつも攻撃しちゃうのはどうなのかなぁって。当の本人たちは攻撃している意識というか自覚はなさそうだが。

身だしなみを気にするようになった結果モテ始めた男とかも、何かにつけて何もしてない男を攻撃…というかつついてくる。なんでやらないんだよか、お前らの努力が足りないとか。

大体、成功するファクターは努力だけじゃないのにね。様々な要素が採点され、一定ラインを超えれば受け入れられる、1点でも足りなければ受け入れられない、と言う状況の中で、合格ライン80点に対し79点のやつが今までやっていなかったことを始めるという”努力”をするのと、49点のやつが今までやっていなかったことを始めるという”努力”をするのと、やってることは一緒でも片や余裕で合格ライン超え、片や全く届かない、っていう状態になるという事に気づかない人が多すぎる。

ってそんな話じゃない。

今の世の中、強きものが弱きを助ける世の中では全然ないということ。まぁ強き者ってのも昨今ピンきりですけども。

 

 勝負というのは天秤だと思う。100gと50gだと当たり前だけど100gのほうが重い。つまり勝つ。でも100gと99gでも100gが勝つんだよなぁ。しかも絶対。何回やろうとも結果は変わらない。

才能がないって諦めちゃうのも、そのたった1g足りないだけで手も足も出ないから。そしてその1gは才能だと思っちゃう。だから諦めるんだよね。まぁ、実際そうであるケースもたくさんあるんだけど。

でも、その1g差で勝っちゃった人ってただ単に、自分は勝った自分のほうが強い、としか思わないんだよね。1gしか差が無い事に気づかないし見ようともしない。

勝ったことに舞い上がっちゃって、自分は強いと勘違いして、自分以下の人間を見下し始める。で、俺強いじゃん俺って強いんだ、なんて勘違いしちゃう。

そしてそれは所詮勘違いだし、たった1g勝利なので他のことや他の人では簡単に負けてしまうから自分は強いという自信を長時間保てない。だから手頃な弱いやつを見つけて攻撃して勝った気になる。

本当に現代人の病気だと思う。

さらにはうまくいっている人の足を引っ張る。そんなことできっこない、なんて聞いたことない人居ないくらいみんな言うし、芸能人の幸せツイートには嫉妬shitツイートがバンバン飛んでくる。

他人の成果を自分のものに、成功してる人間を罠にかけて陥れる。そう言う行為も、他者を引きずり下ろす、足を引っ張ることによって、自分と他者の距離がこれ以上開かないようにして精神安定を得ている。

他者がどんどん成長しようが、己も成長すれば相対的には他者との距離は変わらない。いわゆるライバルや切磋琢磨というやつだ。だが、己を磨くのをサボった瞬間、その距離はまたたくまに開いていく。自分は苦しい思いをしたくはないが、他人より負けているのは我慢ならない、という怠惰な人間が出来ないやつをさらに蹴落とし、出来るやつの足を引っ張る。

 

 その原因は昨今の貧困がーとか言ったけど、でもそれももしかしたら1gなのかなぁとも。そもそもみんなと一緒に足並み揃えて、が大好きな日本人。そう言う気質も含有してそう。あとはなんだろう?まぁ、その辺はいつかどこかで考えよう。

 

 今回の話は、強いものは弱気を助けようよ、と言う話。強く、何かが出来る。であればそれを使って弱い人を助けたり、弱い人を引っ張り上げたりしようよ、っていう話。これもまた、誰かの助けになる、奉仕するっていうことにもつながることかなと。

誰かに教えたりすることで、自分の中での理解が深まったりすることもある。いやいやテメーの成長の世話なんざしてられるかよ、って思うところもあるだろうけど、一番下を切り捨てられない(殺したりしてこの世から抹消できない)社会である以上、誰かが下を引っ張り上げないといけないんだよな。

会社の中ならクビにしてしまえば会社という枠組みの中ではそれで解決だけど、社会という枠組みの中からはじき出すことは不可能なんだから、助けて上げる必要はあると思う。そうすることで自分の求めるスペックに足らない労働者が、使えるレベルになることもあるだろうし、モテナイ君をモテ男に仕立て上げれば下手すれば一生恩義を感じてくれるかもしれない。最終的には自分の利益へとつながるので、本当にそれをやってる人達は最終的に「いやいや自分のためだし」とか言っちゃうからわかりにくいけど、誰かを助けてあげよっていう考え方も大事なので、もうちょっと…いやもっとこの世の中の人間が誰かを助けてあげようっていう考えを持つべきだなと、上記ブコメを見てて思った。

 

 そして思うリアル世界との乖離。

いやマジでネットはなるべく使わんほうがええわ…

 

ストレス解消 パンチボール

ストレス解消 パンチボール

 

 

岩のように静かで動じず、叩かれても己の形を保つ強さを

 ブコメに星がつくと、〇〇さんが星をつけました、と通知が出るんだけど、そこそこやっていると「あれ?この人前にも星つけてくれてたような」みたいな人がちらほら居る。

星がつくのは嬉しい。特定の誰かが自分のいろいろなコメントに星つけてくれるのも。

そういうの、承認欲求がーってよく言われるけど、確かにそれもあるんだけどふと気づいたのは、小さい頃学校でクラスの友達とテレビの話で盛り上がってた感覚が近いなぁと思った。

最近、誰でもテレビ見てるかと言うとそんなことはない。自分だって朝出かける前になんとなく付けてるだけで、それ以外の時間にテレビを付けることはない。あ、あとはローカル情報番組くらいか。

ドラマなんて最後に見たのは中学生くらいだろうか?ってレベル。趣味趣向が多様化してきている今、テレビ見てる人だって同じテレビ見てるとは限らない。

そもそも自分は天の邪鬼なので、オリンピックやサッカーみたいなその場だけ熱狂するスポーツ観戦はやらないし、ベストヒットソングとか絶対聴かない。まぁこれは音楽性の違いってのが大きいけど。

そんな時代の中、同じ話題に関してあーだこーだ言う場所や機会って結構貴重なんじゃないのかって思ったりする。

リアル友がたくさんいる人ならその沢山の人の中から趣味が合う人が居るんだろうけど、自分は友達居ないし、リアルで人とずっと一緒にいるのはしんどい。

 

正直、昨今のネット上で往来している言葉自体が最近好きになれず、以前よりもネットから距離を置くようになったし、スルーする言葉達も多くなってきた。自分の中で意識して人の意見から距離をおいたり耳に入ってしまったものでも忘れたり無視したりする努力をせざるを得ない事が本当に増えたけど、こういうブコメみたいなのがあると、やっぱり人間って面白いんだなと思う。

 

ただ、それを楽しむためにはそれなりに自分自身をしっかりと保たないといけないし、感情で反射的に動いてはいけないし、なんでも言っていいってことにもならない。

岩のように静かで動じず、叩かれても己の形を保つ強さを、ネットを使う人達は皆持つべきだと最近思う。

検索のメインが文字情報からイメージ情報へと変わっていった理由を考えてみた。

 いつだったか。ワクチンの情報をインスタで検索した若いお母さんが居たなぁ。普通に考えれば、アホなん???って言うところだけど、最近自分の検索の仕方がテキストから画像や動画へ移行していることに気づいて、何故だろう?と考えてみた。

 

前述している若年層が検索にインスタを使う原因に関しては、単純にネットと言うものの使い方がわかっていないんだろうと思う。

自分も昔はgoogleのあの検索窓しか置いていないWEBページをどうやって使えばいいかわからなかったし、そう言う部分もあろう。

最近じゃアフィブログの乱立のせいで、昔なら「ググれ」と言っていたところだが、情報の信憑性や情報の密度などの理由からむしろ「わかる誰かに聞け」と言ったほうが良いような時代になってきている。

 

自分が最近テキスト主体の検索を利用しない理由には、まず1つにアフィブログの存在がある。奴らのwebページは誰が作ったものであろうと構造も構成も内容もほぼ同じで、その大量に湧いて出るアフィブログがなければちょいとググるだけで出てくるような情報しか書かれていない。

程よくまとめられて入るが、肝心の欲しい情報がなかったり痒いところに手が届かなかったりすることがほとんど出し、いらない情報もかなりの量混じっているため、必要な情報を探し出してピックアップしなければいけない面倒くささもある。つまり時間がかかるのだ。

この間シャツの汚れに関して調べたんだ。そしたら驚いたよ。検索結果1ページ丸々アフィブログ。そして内容が全てほぼ同じ。こいつは参ったよ。次の検索結果を開く気もうせたね。

まぁそんなことがあったのさ(涙

 

2つ目は時間だ。画像なら一瞬見ただけで自分の欲しい情報がそこにあるのかないのかがすぐに分かる。早い。当たり前だが、文章でくどくど書いてあるより写真見たほうがわかりやすい。そして早い。本当に、早い。その点は光回線の普及などでwebページの許容容量が増えたおかげもあるだろう。

動画はわかりやすい…場合もある。こちらもYoutuber出現のせいでクソ動画が乱立。1分で終わる話を10分ぐらい掛けてたりする。文字と違って10分やら30分やらという動画を全て見なければ欲しい情報が入っているかどうかすらわからない。皆有名Youtuberのマネをするせいでどの動画も内容はほぼ同じ。そのくせ誰も手を付けていない細部がまだまだ多く残る。これだけ人口が増えているのにもかかわらず。数字を追いかけるがゆえにやることが皆同じになるという自体に陥っている。そう言う意味では、調べ物の対象としてはピンキリ…いや最近じゃあまり適さないことのほうが多いな。

 

 

 とまぁ、インスタ映えもそろそろ死後になりそうだが画像検索の重要性はまだまだ上がり続けるだろう。

なので何かを発信する場合はなるべく画像を使用することだ。いや、必ずにしたほうが良いかも。

 

 

アフィブログがありすぎるせいでテキストデータはもはや拾われない。

パッと見てわかるサムネや画像を用意するんだ…っていうか、そもそも画像で発信し他方が良い気がする。ネットでは漫画がブログでもTwitterでもバズりやすい。なにか文章で伝えたいようなことは漫画にすると良いんだな。うん。

 

と言ってる側からやっていないのはよくないな。反省せねば…