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視点は高く、意志は己で創り出せ

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 この一件に関してなんとも言えない感覚があるので少し書こうと思う。

記事自体ではなく、はてぶのリンクを貼っているので何が問題でどういう意見が出ているのかはわかりやすいだろうと思う。

 

 で、個人的には「芸術なんてそういうものでしょ」というのが素直な感覚。仮に何も知らないでこの人の講義を受けたとしても「うわ~マジカヨあいつ頭おかしいわ。さすが芸術家…」って思うだろうし、そもそも当の本人のツイートを見る限りでは、そういう感想を持つってちゃんと講義聞いたんか?っていう感想すら持つ。

 

だが、確かに「調べてから行けよ」ってのもなんか違うと思うし、社会人向けとは言え仮にも大学の講義で「この講義はこれこれこういう講師がこんなお話をしてくれますよ」なんてご丁寧にすべての講義に対して注釈をつけるのも違うと思う。お前ら学びに来てるんとちゃうんか、と。

 

今の社会的には後者の対応がおそらくは是となるだろう。そして芸術に限らず様々なジャンルにおいて、「前置き」はさらに重要度を増すだろう。

まぁサービス業接客業におけるクレーマー対策の為の過剰接客と一緒ですな。

 

 マジョリティとマイノリティは一定のように見えて実は常に中身がじわじわと変化している。時代やその時の人間の考え方や価値観において。最終的(厳密に言えば最後などないが)には中身がごっそり入れ替わっていることすらある。

今の段階では、今までは「それくらい調べとけやww」がマジョリティだったが、「は?先に言っとけよ馬鹿か?」がこれからはマジョリティになる。前者は既にマイノリティに片足を突っ込んでいる。でなければこのように話題になどなりはしない。

 

 まぁ、この点においては、時代と共に不変な物であってもマジョリティである時あればマイノリティである時もある、と言う話でした。

 

 

 で、それじゃあ我々個人はこれら変容していく世界の価値観や考え方に対してどう構えておかねばならないのか、というのがこれから書く本題。

結論から言えば、世界をもっと客観的に俯瞰的に見る。だ。

 

善悪の彼岸という言葉がある。彼岸というのは簡単に言えば向こう側、それを超えた先、だ。善悪に関して「我が善だ」「いやお前が悪だ」とどちらが善悪かと考え言い合っているうちはまだ善悪にとらわれている。人はそれを包み込んだ上でその先へ行かなければならない。

と書くとなんだかアレだが、有り体に言えば「正義の反対はまた違う正義だ」ってやつ。ゲームや漫画などでは割とよく見るやつ。ただ少し違うのは、それを踏まえた(つまり正義とは己の立ち位置や味方で以下用にも変わる)上で「絶対的に正しいことなどこの世に存在しない」ということ。

正義、もっと分解して正しいこと、などこの世には存在しないのではないか。皆誰もが”自分”が見た風景、自分というフィルターを通した世界、を基準に風景や世界を語っている。そしてそれは正しいと皆思っている。だから結局「俺が正しい。これこれこういう理由で俺が正しい」を言い合っているだけになってしまう。

だからこそ、その事象やその人達を見るのではなく、そういう人達が沢山いる世界で起こった事象、と言ったように物事を包括的に、宇宙から地球を見るかのようにすべてを観測し理解し飲み込み、そして”自分の”答えや考えを導き出すこと。それが大事だ。

そうすることにより、世間ではこうだ、とか、社会はこうなっているとか、他者や自分の置かれている環境なんてものでは自分は揺らがなくなる。

 

 船で例えるなら、自身が推進力を有していれば風の有無や風の強さ、帆の向きなどを気にする必要はなくなるということだ。

自分で食事を用意できるなら、「お腹空いたお母さんご飯まだ!?」って不機嫌になることもないのだ。

 

ゼノサーガ エピソード2 善悪の彼岸〈上〉 (ファミ通文庫)

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