今の時代、一番必要ないものは常識かもしれない。
今の時代に存在している”常識”というものは、戦前の人たちが一生懸命考えて、失敗し、その経験や思考の結果導き出した答えを、あとに続く人間たちが何も考えずに継承し続けてきた、正しいと思いこんできたことだ。
それは当時は正しかったかもしれない。だが、戦争が終わってからもう85年だ。
昭和は戦後をずっと引きずってきた。
平成は昭和をずっと引きずってきた。
人が変わり時代が変わり世代が変わってきた令和。ようやく日本が次の一歩を歩みだそうとしている。そんな時代の変化の真っ只中に居る。令和はそんなことを日々感じる時代だと思っている。
そのために必要なことは常識を捨てることだと思う。
と言っても捨てるのは彼らの”常識”だけでいい。我々の常識まで捨てる必要はない。だが、一つだけ間違えてはならないのは、その常識はちゃんと自分の頭で考えて導き出した答えなのか、ということだ。
自分で考え、自分で判断し、自分の決断を信じ、もし誤っていたのならすぐさま軌道修正する。
誰かが言っていたから。今までこうしていたから。みんなこうしているから。
そんな気持ちがどこかに残っていないだろうか?
それを続けていては老人共と一緒に滅びるだけだ。彼らは死ぬからいいが我々はまだそう簡単には人生というレールからリタイアは出来ない。
ならば何を手に取るべきなのか。考えろ。
彼らの常識では理解不能判断不能な技術がこの世にはたくさん生まれている。そしてすでに利用されている。
テクノロジーを使わない手はない。洗濯機がこの世にあるのに未だに洗濯板を使って川で洗濯する必要はない。
どうすればいいか迷ったらとりあえず新しいテクノロジーを探してみろ。
たったそれだけでも彼らの常識の上を行くことができる。
我々は彼らの常識を駆逐し、この世に新しい常識を構築しなければならない。
老人たちとともに日本もろとも没したくなければ。