Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

何をしたら誰にウケるだろうか?よりも、私のコレは誰にウケるだろうか?を考える。

 順序が逆なのかな?とふと思いました。

「若者にも風呂敷を使ってもらいたいから、SNSでアピール!」

じゃなくてね。

「ウチで作っているこの風呂敷、誰が一番喜んでくれるだろうか。誰なら有効に使ってくれるだろうか?」

じゃないの?っていう話。

 

 儲かりそうだからやる仕事は儲からないとか、ウケそうだからやる仕事はウケないとか。そういうことなのかなぁ、って。

まず特定の相手を想定してそこから始まる仕事もあると思うんだけどね。グラフィックデザインとかそうだもんね。そういうのはちょっと別としてね。

まずスタートは自分だったり自社だったりなんだろうなと。

若い女性にウケたい!若い女性に買ってもらいたい!っていうのは傲慢なのかなと。

私ならこの人を助けられる!うちの製品ならこの人達のしごとを楽にできる!だからその人達に売り込みに行こう。

コレが正しいマーケティングなのかなと。

 

 なので「あぁこういう人生憧れるなぁ」とか「こういう世界に入りたいなぁ」は上手くいかないんだろうな、と。

憧れは理解から最も遠い感情だよ、っていうのは漫画のセリフだけど鋭いなって思います。

僕が、憧れ、という感情がよくわからない、好きじゃない理由はコレだったんだ!って気付いたセリフでもあります。

 

 

 まぁそれはさておき。

結局コレも、与えよさすれば与えられん、なのかなとも思います。

ただそれには承認のバケツもセットで語らないとダメなんですよね。みんなそこはスルーしてしまうのですが。

承認のバケツは溢れて初めて他者に与えることが出来る。溢れて初めてその人は変わる。

自分の人生や、たくさんの人間を見てきて思うのですが、各家庭レベルですでにバケツを溢れさせることが出来ている家庭もあれば、学校や部活など環境によって溢れた人もいれば、いい歳してもスッカラカンな人もいるわけで。

でもそれは本人の責任ではないんですよね。

それをすっ飛ばして「与えろ!与えろ!」と言うから反発されてしまうのであって。

 

 

って、また話がそれてしまったw

 

 

助言の皮を被ったマウンティングゴリラ

 やったこと無いから出来ない、なんて言ってるやつは将来ロボットに仕事奪われるぞ!

ってどこかの社長さんが言ってたんだけど、そんなのあなたには関係なくない?何故そんな事をわざわざ言うの?と疑問に思った。

それを言うことによってあなたに一体どんなメリットがあるの??と疑問に思った。

だって、社長って仕事振る側でしょ?人雇ったり首切ったりする立場でしょ?ロボット導入する立場でしょ?

だったら、そんな事言うのが社内の人間ならそんな社員なんかさっさと切ってロボット入れればいいわけじゃん?

社外の人間だったら尚の事あなたには関係ない話じゃない?と思うんだけどどうなんだろうか。

あとそもそも立ち位置が違うじゃん、と。いやいやあなたの立場ならそりゃ何でもかんでも自分のやり方でやったって誰にも文句言われないし、責任取るのだって自分だし、そもそもあなたの会社じゃないか、と思ったりもする。

 

 スポーツにしろなんにしろ、この手の「自分はできること」で他人が出来ていないと口出したくなるタイプの人達って一定数常に必ず存在しているよね。

こういうタイプの人達は「なぜ自分はそれが出来るのか」を考えたこともないし、「自分ができることは他人でも出来る」と何故か思い込んでいる。

僕たちみたいに人生が「出来ないところ」からスタートしてるんじゃなくて「出来ること」からスタートしてるタイプの人種だ。

ただ、そう思い込んでいるだけならまだしも、わざわざ他人に口出ししてくるのって単にマウント取ってるだけ、マウント取って自分が有利な立場に立っていることを確認したいだけなんじゃないかな、って最近思ったりする。

そしてちょっと不思議なのは、”社長”なんて立場にあって尚、他人をマウンティングしようとか思うのか、と不思議というかへぇ~というかなんかそんな気持ちでもある。

 

 仕事ができる人は「あいつ使えねーなー」とか「あいつ仕事できねーなー」なんてわざわざ言わない。本当に仕事ができるならそんなこと全部織り込み済みで仕事組み立てて進めるから。

やっぱり他人の言うこととかあんまり聞く必要はないかなぁって思うよなぁやっぱり。

あと自分が一番上で、誰かのやり方に従わなければいけない状況に置かれることがない、っていうことも忘れてるのかなぁ。こういう人たちって。

つまるところ、他者のことを慮る事ができないってことじゃない?自分の置かれている状況や立場、相手が置かれている状況や立場、それらを理解することが出来ない、ってことでしょ?

それって社長だから仕事はできるんだろうけど、人としては微妙じゃない?

 

その人が言ったことが他者に浸透するか、響くかどうかはその人の普段の行動による。らしい。

例えば普段全く掃除をしない社長が「おらお前らなんで掃除しないんだ!掃除しろよ!」と言っても全く響かないし。

普段から率先して社内をピッカピカにしてるような社長の場合、下手したら何も言わなくても社員も掃除をする。そういうこと。

 

「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ

「とにかく優位に立ちたい人」を軽くかわすコツ

 

 

ジクサー150 レンタル インプレ

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www1.suzuki.co.jp

 割と真剣に乗り換えを考えていたので、一度ちゃんと乗ってみたいと思いレンタルしてみました。

ということで感想インプレレビューです。

 

 

ちなみにこちらは購入後レビュー。レンタル時とはだいぶ印象が変わりました。

ds-12.hatenablog.com

 

 

 

 結論から言うといいバイクですが僕は買いません、って感じです。

 

 巷では絶賛のジクサーですが、個人的には「それほどか??」っていうのが正直なところです。

現在グラディウス400に乗っているせいもあり、比較対象が良くないのかもしれませんが。

乗り換えに当たり一番心配だったのは、150ccというのがどれだけ遅いのか、と言うところだったのですが、まぁ正直遅いです。

なぜか誰もそうはっきりとは言いませんけどね。

原付きや125ccからのステップアップなら多分遅いとは思わないでしょう。

あとは大型などのとんでも加速に飽きた、遅いバイクでいい、むしろ遅いバイクがほしい、といったように割り切ってる人なら不満はないと思います。

ですが現状で250cc以上に乗っている人はこの加速は不満でそうだなと思います。

なんていうかトルクが足りないです。100km/hくらいは普通に出るのでその当たりは不満はないと言うか、想定範囲内、許容範囲内だったんですが、0-60といいますか、その当たりの加速力があまり良くないですね。

とはいってもトルクなんて排気量に比例して上がっていくものなので排気量が小さければトルクが低いのは当たり前の話なのですが。

僕はとんでもないようなレベルの加速までは必要ありませんが、胸のすくような加速は欲しい人です。人それぞれ個人差はあれ、バイクに乗りたいと思うような人なら多かれ少なかれ必ずこういった欲求はあるんじゃないかと思ってます。

ですがこのジクサーはこの欲求には答えてくれません。

良く言えば、危ない加速や危ない速度は出ないので初心者の方にも安心しておすすめできる、とも言えますが、逆に僕は初心者には勧めません。ジクサーならではの良さに気づく前に「何だこのバイクおせー」になってしまいそうだなと思うからです。

まぁ、ツイッターとかみてるとそんな人皆無なので杞憂だとは思うんですがw

 

 でもジクサーはそれと引き換えに大きな利点も持っています。

軽くて扱いやすくいつでも気軽に乗れるバイクであるということと、原二並みの燃費と、使い切れる楽しさバイクを操る楽しさ、です。

重いバイクは乗っているときも乗っていないときも気を使います。取り回しでもそうだし、停車時に足をつくときなどもそうです。

でもこのジクサーはなんの不安もありません。ちょっと買い物に、とか、ちょっと外の空気を吸いに、とか、ちょっとそこのコンビニまで、なんてレベルでもジクサーならいともたやすく引っ張り出してきて乗れるでしょう。そこは本当にラクで、かつエンジンの付いた乗り物なので遠くに行こうと思えば遠くまで行ける、とっても便利でつかいやすい乗り物です。

燃費も12Lのタンクと相まって航続距離600kmというとんでもないバイクです。

 

 

 バイクは一長一短。どこかを取ればどこかを捨てなければいけない乗り物です。

このバイクは速さを捨てて軽さや手軽さをとったバイクなので、使用シチュエーションやライダーが求めるものとそれがマッチすれば最高のバイクでしょう。

現在150ccクラスで国内正規販売されているバイクはジクサーだけです。ホンダ、ヤマハあたりは海外では結構いろいろなモデルがこの150クラスにありますが、全部現地仕様です。…カワサキは知りませんw

 

早い、安い、美味い。バイク界のマックか吉牛か、そんな乗り物でしょうか。

ただ、ファストフードにしてはかなりクォリティが高いです。マックでこんな美味しいハンバーガーが食べられるのか!とか、吉野家にこんな美味いものがあったのか!とか、そういう感じのバイクですね(なんじゃそりゃ)

でも、ちょっといいレストランやらおしゃれなcafeやらで出てきたらちょっとがっかりするレベルであることも事実です。

そこは自覚した上でかわないとちょっと後悔しかねないバイクかな、とは思います。なまじネットの評判が良すぎるので特に。そこだけはよく考えたほうが良いと思います。

 

 

 

 

 ついでに、あまり日本では馴染みのない150ccというバイクに関しても少し書きますが、150ccは250ccのダウンスケール、というよりは125ccの延長線上、と考えたほうが妥当だと僕は思います。

あくまで通勤や日常の足をもう少し拡大させたもの、と思ったほうが良いでしょう。趣味という面においてはかなり弱いカテゴリーだとは言っておきます。

125ccで問題ないのなら125ccで良いと思います。あえて150ccを選ぶ利点は少ないでしょう。ただ、通勤や日常の足がメインだけどバイパスを通らなければならないとか、高速に乗らなければならないシチュエーションがあるとか、そういう人が選ぶカテゴリーかなと思います。

東南アジア圏で人気だそうですが彼らにとってバイクは日常の足であって趣味の乗り物ではないですからね。ただ逆を言えば日常の足としては最適であるという証でもあるとも言えますがw

日本ではしょっちゅう雨も降るし地域によっては雪もつもります。1年中バイクだけで済む地域は案外ないんじゃないでしょうか。だからみんな軽自動車に乗るんですが。

 

150ccは通勤やお買い物に使うバイクである。150ccというカテゴリーの正しい認識はそれでいいと思います。ですが、このジクサーならそれをちょっと上回ってツーリング等といった趣味的楽しみもちょっとはできますぜ?っていうことなんだと思います。

 

 

 駄目なバイクとは言いません。いいバイクだと思います。とても。

ただ”150ccにしては”いいバイクだ、ということは強く言っておきたいと思います。

 

 

芽が出なかったのはお前がそう思っていたからそうなったのだ、という話

 は、大嫌いです。うっさいわぼけ。って感じです。

こういう、落ち込んでたりふさぎ込んでたりする人を更に叩き落とす理論は、本当に正しいことだとしてもその人にとって適切かどうかという問題に置いては全く正しくないと僕は断言したいです。

 

「自分には集中できるような好きなことがない」でも、真の問題は「好きなことがない」ということよりも、あなたが「好きなこと一本で食べていく能力がないと信じている」ことです。大勢の人にとって、自分には能力がないと信じていることが、好きなことがあっても集中しない理由となっているのです。でもそうやって何年もずっと絵をやり続けたけれど、全然、芽が出ませんでした」
はたしてそうでしょうか。
それは、たとえば絵を描くのが楽しかったというよりは、
「早く、一本立ちしなければならない。有名にならなければいけない」
といった思いが強くて、焦ったり不安になっていたりする時間のほうが、絵に熱中する時間よりもはるかに長かったからではないでしょうか。いささかきつい言い方にはなりますが、自分が信じでいるとおりに「全然、芽が出なかった」のです。あなたのマイナスの意識がそのまま形になったという意味では、自己実現しているといえるでしょう。/石原加受子 著書より


 この手の理論はよくありますよね。心理学でもスピリチュアルでも、自分が思ったことが現実として現れる、という話です。

俺は出来る!って思ってやっていたから成功した。

僕に出来るのかな…と思っていたから失敗した。

っていうやつです。

でもこれ結構難しいです。マイナス方向にはいとも簡単にどんな状況からでも落ち込むことが出来ますが、プラス方向にはそれなりの条件や環境や性質などがあった上でこういった思考を持って初めて結果として現れ始めます。

つまり、マイナス方向へは思うだけで簡単に実現しますが、プラス方向へは思うだけでは実現しないということです。

なのに、この手の理論を振りかざす人はプラスだろうとマイナスだろうと思えば変わるんだ、と思いこんでいます。きっと当の本人がそうだったんでしょう。

ただその裏には自分の置かれた環境や、もともと持っている自分の性質や性格、そして様々な条件が背後に有ったからこそ思いが実現していることを彼らは全く理解していません。意図的に目を背けているんじゃないかと思うくらいそこに目を向けません。

 

 

 じゃあプラスに転じさせるには何が必要なのかという話ですが、正直おとなになってからではかなり難しいと思います。子供の頃にプラスに転じさせておくべきです。

なぜかと言うと、好きなことを何も考えずにただ追求する、ということは大人には難しいからです。

子供はお金を稼がなくても寝る場所があるし、ご飯は毎日出てくるし、服だってあります。学校も極端な話行きさえすればよく、何点以上取れないと追い出されますよ!なんて仕組みはありません。

つまり、生活する上の不安というものが子供にはまったくないのです。そして生活する上でやらなければいけないことも、一定以上の成果を必ず出さなければいけないことも、子供にはありません。

だからこそ、好きなことに集中できるんです。将来どうなるんだろうなぁ、っていう不安も子供はそもそもあまり持ちません。

なので逆を言えば、子供の頃に本人のそういった部分を見出して伸ばしてあげないと、その子は将来苦労するということでもあります。

 

 しかし、大人はそうは行きません。お金を稼がなくては家も追い出されますし、ご飯も食べられませんし、服も買えません。

そのお金を稼ぐためには仕事をしなければならず、その仕事は一定以上の成果を出さなければ給料が減ったりクビになったりします。

つまり僕たちはただ生きているだけで、今や将来に対しての不安を既に抱えてしまっているのです。これじゃあ誰かに勝つことは出来ません。

 

 じゃあどうしたらいいのかという話ですが、本当に時間がかかってもいいなら仕事を続けながら好きなことをやるという方法と、数年は行きていけるだけのお金を貯めて「○年間頑張って駄目なら諦める!」と決めてそれだけをやる方法です。

得てして人間というものは、逃げ場があると成長しないものです。

例えば新規就農を目指して農家さんの元で働きながら研修を受ける人と、いきなり自分で農業始める人では明らかに差が出てきます。前者はいつまで経ってもだめな場合が多く、後者は首吊るか成功するかのどっちかです。

僕もそうでした。自分ができなくても最終的には師匠がやるだろ、というような逃げの意識がどっかにあって、そしてそれってその環境に身をおいている限り絶対消えないんですよね。

だから、自分がやらなければ、自分ができなければ大損こく、という環境に身をおいてやらないといけないんです。

ただ、農業は法律上新規参入が簡単にできないようになっています(経験者でなければ新規就農できない)し、工業はかってに工房もつのはいくらでも出来ますがコネでも無い限りなんの実績もない人に仕事なんて出しません。どんなに安い仕事でも。

って、話がそれちゃいましたが。つまりは、自分がやらなければ死んじゃう!って自分を追い詰める環境に自分を置きましょうという話です。

 

 

 で、僕が一つ気になるのは、上記で引用したように落ち込んでる相手をさらに叩く物言いが気に食わないんですよね。

上記の話はHSPの人に対して言ってるんですよ?僕としてはちょっと信じられないです。内容が正しければ殴ってもいいのかよ?その人に適切な言い方というものがあるだろ、と僕は常々思っていましたし今でも思っています。

この手の話は上に立つ人には受けが良いです。例えば「部下でこういう人がいるんだが何が悪いんだろうか?」みたいに悩んでいる上司とかです。そういった人に「部下くんがうまく行かないのはあなたのせいじゃないんですよ、みんな部下くんが勝手に思い込んでかってに失敗しているんです。これは完全に部下くんの問題です。」って言ってるのと一緒ですから。そりゃ受けます。

しかし当の本人に言うにはまったくもって不適切です。

あ、ついでに言えば今挙げた例も結局問題の解決には到らないので、これも実は不適切なんですけどね。他責にして自分は何もせず相手を攻めればいいと勘違いして終わっているのでこれでは問題なんていつまで経っても解決しません。講演家は自己啓発本と一緒で、必ずしも結果がでなくてもいいんです。対象の人がそれっぽくその気になればそれでいいんです。だから自己啓発もテンションを揚げるにはいいですが内容に関してはよく考えましょうね。

で、また話がそれたw つまりいくら正しいことであっても、適切な伝え方が出来なければその発言には意味もなければ価値もないということですよ。

溺れている人に「何やってんだ!上がってこい!」「およげよ何やってんだよ!」「お前どうせ出来ないとか思ってんだろ!」とか言っても意味ありません。

溺れている人に必要なのは浮き輪だったり、足場だったり、空気だったりするはずです。それでまず落ち着かせ、体力を回復させ、そうしてから岸まで泳いでくればいいんです。

HSPの人を助けたい、って言っている人でもこれが出来てない人が多いのが僕は非常に残念です。

 

 

 僕ならこういいます。

まず自分に対して負荷がかからずに済む仕事に就きましょう、と。

そしてその仕事をしながら好きなことをするなり、その仕事でお金をためていついつまでと区切って思いっきり打ち込むなりしてみてはいかが?と。

現状では何も出来ないのに自分なら出来ると信じるのは難しいことです。大人になればなるほど。というか、そんな事ができるのは子供だけですよ。

なので大人になってしまった僕らは少しずつ自分を信じるしか無いんです。

少しずつ一つずつ出来るようになっていって、「ここまでは自分は出来る。だからこれくらいも出来るだろう。」という刻み刻みの自信を一つずつ積み上げていくしか無いんです。

大人になってから「絵で食っていきたい!」は正直無謀です。難しいです。数年程度でどうにかなるものではないということは認めたほうがいいでしょう。

ですが、何年かかろうが最終的には絵で食っていきたい!と思うのなら前述したことをやり、一つずつ自分を信じていければ想いが叶う確率はぐっと上がるでしょう。

と、僕ならこういいます。

 

 誰かに何かを言われて。誰かの書いた文章を見て。

なにか違和感を感じたならその違和感を分析してみましょう。

そうすれば、その内容が正しいのか間違っているのか、ただ表現が自分にあっていないだけなのか、そういう事がわかってきます。

それがわかればあとは正しいことだけ自分流にアレンジして取り入れればいいんです。

相手の言うことを丸々受け取る必要ありません。要らないものは受取拒否。要るものだけもらいます。そういう心構えも外界から受ける刺激を減らす有益な手段になります。

 

我が道よ

我が道よ

  • 発売日: 2014/03/19
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

内向型の自己啓発 ~自分のペースを知る~

 内向型人間の多くは外向型人間ほどエネルギッシュでもないし、バイタリティ溢れる人物というわけでもないし、スポーツ万能ってわけでもないし、矢継ぎ早に速いペースで他人と会話の応酬を楽しめるわけでもない。

自覚している人も多いと思うが、僕らは他者(世間の75%を占める外向型人間のこと)より遅く、他者よりエネルギー切れが早く、他者より応答性が低い。

しかしそれは僕らが脊髄反射で動いているからではなく、一旦頭で考えて計算し答えを算出してから動いたり発言したりするためだ。

また、エネルギーの充電方法の違いのためだ。彼らは人に会ったり話をしたり知らない人に会ったりという刺激で充電されていくが、僕らはそういった刺激から離れ独りで落ち着いているときに充電されていく。

彼らは普段の生活の中でエネルギーを消費しつつ充電もできるが、僕らは社会の中でエネルギーをひたすら消費し、家に帰ったら独りでひたすら充電するのだ。

そもそも彼らとはタイプが違う。性質が違うのだ。

 

 そんな僕らに必要なことは”マイペースであること”。

周囲の75%の人間と歩く速度が合わせられないのであれば、自分が一番歩きやすいペースをみつけ、周囲に流されること無くそのペースで歩き続けることが大切だ。

ただ誤解してほしくないのは、別に僕らだって周りのペースに合わせて歩くことだって出来るってことだ。

だけどそれは激しくエネルギーを消費する。エネルギータンクはあっという間に空になる。それにエネルギーを充電しながら走れる彼らと同じように行動するのは持久力という点から見ても大いに不利だ。

そのような状態で走り続けることが、最高のパフォーマンスを発揮することとは真逆の行為であるということは今までの人生でも実感しているんじゃないかと思う。

 

 僕たちには僕たちが一番能力を発揮できる、最高のパフォーマンスを発揮できる丁度いい速度というものがある。

例えば僕は運動音痴で体力も筋力もない。球技なんて絶望的に下手くそだ。

腕立て伏せなんて10回と出来なかった。

そんな僕が一時期少し筋トレをしていたことがあったのだけれども、その時は全部自分のペースト自分にできる負荷でやった。

普通の腕立て伏せのやり方では負荷が大きすぎるので最初は膝をついてやった。それでも最初は10回ちょっとでもう限界だったろうか。

それでも限界になったところからプラス5回やる!とは決めて、毎日少しずつ回数を増やし、30回ほど出来るようになった辺りで今度はようやく膝をつくのを止め、普通の腕立て伏せスタイルにしてまた同じことの繰り返し。

そうして僕は普通の腕立て伏せでも30回以上普通にできるようになった。最近はやってないからそんなに出来ないけどw

 

 でも、これを誰か運動が得意だという外向型人間の指示のもとやっていたとしたらどうだろう。

きっと最初から膝も付かずに普通に腕立て伏せをやらされていただろう。10回で限界になって「もうだめだー」ってなっても、「それをあと3セット!」って言われて本当にへばるところまでややらされるだろう。

そして次の日には筋肉がバキバキになって仕事にも支障をきたすだろう。

 

 さて。果たしてこんなペースで継続できるだろうか。これでパフォーマンスが上がるのだろうか。

そんなことはない。僕はこの自主筋トレでも学んだが、負荷というものはかければかけるほど良いというわけではない。もしそれが正しいのであればダンベルなんぞではなく車でも持ち上げていれば良いのだ。

負荷というものは、現状で持ち上げられるものよりちょっとキツイくらいが丁度いい。かかりすぎる負荷は体や心を壊し、継続しようという意思も折る。

 

 このようなことが僕らの心にも起こる。もちろん体にも起こる。

周りのペースに乱され、無意識に、そして仕方なく過負荷な状態で行動をしていることが多いだろう。

けどそれは一旦やめよう。というか、今後はやめよう。それは自分はとっても辛いのに結果は全然でなくてその上すげー怒られるやつだ。踏んだり蹴ったりだ。僕らにとって利点は何一つとしてない。

だからこそ、自分のペースを見つけよう。自分の快適な歩く速度を見つけよう。

一歩一歩一つずつ。今日は10歩。明日も10歩。明後日も10歩。一週間経てば70歩進んでる。

自分のペースで一つずつ。それを続けること。これが一番結果を出せるやり方だと僕は思ってる。少なくとも僕はそういうタイプだ。あなたはどうだろうか。

そして、たとえ今日9歩しか進めなくても別にそれはそれで良いんだ。焦ることはない、と落ち着いた心で居ることも大事だ。

今日9歩だったのなら、明日11歩にしても良い。なんなら10.2歩を5日でも良いじゃないか。

どうしてもすぐに取り返さなければいけないことならその瞬間踏ん張るしか無いけど、世の中って案外そこまで急いでない。最近は特にそういう傾向がある。きっと75%の人達が気を使ってくれているんだろうと思うけど。その気遣いには素直にありがとうと言おう。

 

 75%の人達とはそもそも速度が違うことを自覚し認識し認める。

そして自分の快適な速度、回転速度を見つける。

そしてそれを毎日コツコツと積み重ねていく。

それが僕たちの歩き方だ。

 

 

今は社会を内向型が生きやすい世界に寄せていく絶好のチャンス

 

news.livedoor.com

 ひろゆき氏や堀江氏は正直好きじゃないんだけど、ちょいちょい激しく同意する事を言うので、いつも遠巻きからチェックしています。

人間のタイプとしては僕と逆の部分がある人達で、近づきすぎるとこちらが大火傷負ってしまうので、遠巻きから盗み聞きしていいとこだけ拾うのが彼らの正しい見方ですねw

 

 とまぁ前置きはさておき。

今コロナの影響で世界は崩れています。そしてコロナが終息したら、この崩壊した世の中を元の形に組み直すわけなのですが(多分収束しないのでコロナと戦いながら組み直すことになるだろうけど、それはまた別の話で)、その際に僕は以前と全く同じ元の形に元通りにはならないと思っています。

それは上記リンクでも語られています。

そして僕は「外向型マンセーの今の世の中を変えるチャンス」だと思ってます。

具体的に言えばもっと内向型が生きやすい世界に、もとに戻す過程でしれっと変えていこうという目論見、企みです。

カレルレンがやろうとしていたことと一緒ですね(分かる人だけわかってくれ)

とはいえ、内向型マンセーの社会にはなりえません。今の社会が外向:内向 3:1 なのですが、それが逆転して内向が3になることはありえません。それは断言しておきます。淡い期待を抱かせてもアレなので。

ですが、3:2や4:3くらいには出来るんじゃないかなと思っています。

 

 

 今の世の中は設計された形通り、正確に物を作ったり、仕事をこなしたりしています。そういう仕事の仕方をしています。

ものづくりに関しては正確に作らないとだめなのでこれが変わることはありませんが、仕事のやり方進め方は、今までの完全きっちり式はおそらくだめになっていくでしょう。

もっとバッファをとった、多少マージンのある、本体も硬くはなくある程度状況に合わせて変形出来るような、そんな金属の塊から粘土の塊になるくらいの柔軟さが求められるのではないかと思ってます。

上記リンクのひろゆき氏の記事もそういうことが読み取れます。

 

 

 今は、世の中をこちら側に引き込む絶好のチャンスなんです。

今の社会が、世の中が生きづらい、そう思っている方、今はチャンスなんです。僕らが生きやすい世界に引っ張り込めるんです。

 

G.W.で自粛が終わるとか、コロナが年単位で蔓延する可能性とか、崩れかけた今の世界がもとに戻らない可能性とか、みんな薄々感じてるんです。

わかってるんですよ、みんな。そうならないで欲しいなぁという願望と、ネガティブなことを言ってもしょうが無いという気遣いで誰も大きく口に出したりしませんけど、みんなわかってるんですよ。世界が崩れ、今までとおんなじ生き方はもうできないんだと。

 

 だからこそ、今自分に出来ることをしましょう。

会社が傾いている今なら提案や要求が普段より通りやすいはずです。会社側も全て突っぱねている余裕はないはずです。何かやらなければ完全に倒れてしまうんですから。

時間が大いに余っている今なら、今までやろうと思っていたけどやらなかったことをやるいいチャンスです。

誰かを助ける、ボランティアや奉仕的な活動も、今ならやりやすいはずです。

行政のヘボさ加減に誰もが文句を言っています。文句を言いやすい環境は整っています。大きい声に紛れて会社に文句を言いましょう。誰かの賛同を得やすいし、ネットで広まれば会社もいやいやながらも動くでしょう。

 

内向型の人、今めっちゃチャンスですよ。腹の中に溜まってるものぶちまけるチャンスですよ。ずっと家に居たおかげでエネルギーはいっぱいあるはずですから。

 

これは革命だ

 

 

ワゴンRスティングレー HYBRID T 感想

www.suzuki.co.jp

 代車で少し乗ったので感想をひとつ。

 

 これいいね。街乗りオンリーで、車を移動するための手段、道具として割り切ってそれ以上を全く求めなければ。

乗り心地は悪くないし、割と静かだし、ターボでハイブリッドだからパワー不足は下道なら全く感じないし、視界は広めだし、室内も広く感じるし。

通勤、買い物など、日常の足とするならこれでなんの文句もない。そんな車。

 

ただ普段スイスポに乗っているので不満に思ったところが多々。あ、内装は多分スイスポのほうが安いw お金をかけてるところがぜんぜん違うんだなってのがよく分かる車。まぁ方向性がぜんぜん違うからね。

 

で、不満点は、軽ゆえなのかアクセルの反応の鈍さ、ハイト系なので多少のハンドル操作でもボディが左右に振れる、シートが真っ平ら、ブレーキが効かない、アナログセンターメーターは見にくい、ドラポジが女性前提。そんなところか。

パワーが無いからなのかCVTの制御の仕方なのか、巡航時からちょっと加速したい時とか加速感が足りない。といか、巡航の回転数が2000以下とかなのでそもそもトルクがあまり出てない可能性もあるし、そうとう踏み込んでも大した加速をしないのでそもそもパワーがない可能性もあるのだが。踏みすぎじゃね?って思うくらい踏み込んであげないと「え?あぁ加速するんですね」って車がわかってくれないのでちょっと厄介。ATはだいたいこの傾向。好みじゃない。

ショックが結構柔らかいので、常時フワフワしてる感。おかげで低速でも乗り心地は悪くないのだが。タイヤの接地感は結構あるが、ショックの柔から故タイヤは踏ん張ってるがボディが揺さぶられる。酔う。

シートが真っ平らなので横Gを全然支えきれない。ほんの少しハンドルを切っただけで体が横にずれるので、アクセル・ハンドリング・ブレーキをナマケモノのごとくゆったりまったり操作して上げる必要がある。鈍い人には丁度いいんだろうけど、多少なりともキビキビ走れる人には不満。

ブレーキは軽自動車すべてそうだけど、かなり踏み込まないと効かない。こんなに効かないとエマージェンシー時はどうするんだろうか…。結構怖い。かなり余裕を持った状況判断と状況予測、減速動作が必要。

ドラポジはすべての軽がそうだけど、基本は女性を前提としているので、背の低い男性以外は、ハンドルに合わせれば足元が窮屈になるし、足元に合わせればハンドルが遠くなる。男が軽に乗るならこれをわかった上で乗るか、テレスコピックがついている車に乗るべきだ。

 

 

 そんな感じだろうか。悪い車じゃない。っていうか、やっぱり最近の軽ってすげーな!下手に5ナンバー車買うよりよっぽどいいぞ!って思うくらい。

最近軽も5ナンバーもほとんど同じ値段、むしろ軽のほうが高いけど、同じくらいの金額出すなら今の時代は軽のほうが絶対いいと思う。間違いなく軽の方がいい車になってきてる。

自分は普段遣い程度でも軽はちょっとなぁ…って思ってたけど、ここまでしっかりしてるならむしろ軽の方がメリット多いんじゃね?って思ってきた。次はハスラーとかに乗ってるかもしれないw

 

ただ、走りは楽しめない。これは間違いない。

たとえターボであっても、スティングレイっていうちょっと変わったモデルであっても走りは楽しめない。

つまらない、というよりは「楽しむ走りが出来る車じゃない。can't」。

そういう車でした。