Goin'にMy Way.

俺の記事を読め!すべての内向型人間に贈る社会派サブカル悟り世代バラエティーコラムGoin'にMy Way、ごらんのブログで更新中☆

”自分のやり方”が合ってる人

 1年間親方の元で仕事をして思ったことがある。

親方の言うやり方が全く僕には合わない

ということだ。

師匠に対してなんつー物の言い草だ!って言われるかもしれない。僕もそう思っていた。

僕は守破離という言葉が好きだ。素敵だと思う。だから師匠の言うこともまずは守った。言われたことをそのままやって、まず言われたことを出来るようにしようと。

でも僕はどうもそういうタイプではないらしい。

というか、僕と師匠は人間のタイプや特性が真逆すぎて師匠が上手く行った方法では僕は全く上手く行かないということに気付いたのだ。

手先が器用で運動が得意で右利きの人間が、手先が不器用で運動音痴の左利きに有効なやり方を教えることなど出来るのだろうか?いや、無理でしょw

 

 今の師匠は実は僕が選んだわけじゃない。別のところが駄目だったときに「こういう場所もあるけど?」と紹介してもらったところに僕はそのまま入ってしまった。

これが良くなかった。師匠は僕がちゃんと選ぶべきだった。これは本当に僕のミスで誤った選択だったと今は思う。

 

 師匠はとにかく言ったとおりにやらないと怒る人だった。僕が多少でも自分のやりやすいように変えると「それじゃ駄目だ!だからお前は駄目なんだ!」と怒った。

だが僕は師匠の言った通りのやり方ではどうにも上手く出来ない。だからこそ多少なりとも僕のやり方を入れたかったのだがそれを許されず、言われたとおりにやっても成果は出ず、成果が出なければ当然怒られ否定され、僕はどんどん出来なくなっていった。

 

 僕は昔からなぞるのが下手で苦手だった。ひらがなとか漢字とか小さい頃なぞり書きしたでしょ?あれ、ゆっくり書くのが嫌で、線に上手く添えて無くても早く書きたくて早く書いてた。

だからまぁ字はあまり綺麗じゃないのだけれどw

でも仕事でそれは駄目じゃん?だから僕としては、他人のやり方はあくまで参考。自分のやり方をベースに足りない部分をまず分析し把握、そして他人のやり方や成果物から足りない部分を補うための何かを発掘して自分のやり方にプラスする。

これが僕のやりたいやり方だ。

そもそも思い起こせば僕の人生で他人に言われたやり方が上手く行った試しなんて無いのだ。

僕は社会の中では少数派だと思う。だって社会に適合できないレベルだし。

なら、多数派のやり方なんて合うわけないんだ。他の大体の人が上手くいく方法は僕では上手く行かないんだ。

 

 

 そうするとこの世にサンプルなど限りなく無いに等しい。自分にあったやり方を探す、発掘する、作り出す。これが僕の正しい生き方なのではないだろうか。

そしてたとえ誰かに師事するとしても、自分に似た人に師事すると良いのだろうと、この1年で知った。

正反対の人のほうが刺激を与えあって良い、とか言うけどそれはあくまでお互いが同等な場合だけだろう。そこに上下が発生した途端に物事は一気に噛み合わなくなる。

 

 自分のやり方を探す作る。自分に似た人を探しその人に師事する。

幸い一人で探求するのは得意だし、自分に似た人を探すのは大変だが今はネットで多くの人が己の何かを発信している。昔より遥かに探しやすい。

 

 そう捉えればこれからの人生の生き方はガラッと変わってくる。

やるべきことも変わってくる。観るものも変わってくる。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を塞ぎ、口をつぐんで孤独に暮らせ。」

自分を変えろ、というのは「出来ないことを出来るようになれ」ではなく「自分に合った適切なやり方を見つけてそれに変えろ」ということなのではないのだろうか。

今コロナで世の中が大変だけど、著名人が「自分にできることをやろう」って言ってるのもこういうことが共通して根底にあるんじゃないかなとも思う。

 

 適材適所。適切。適当。適度。適宜。適時。

僕はこれらの言葉が結構好きだ。

自分に合った、その場に合った、その時に合った行動や思考を、ちょうどいいタイミングで行う。

これこそがPDCAな気もするが、世間では違った捉えられ方をしているなと思う。

 

 今回のコロナで、我々人間は強く試されているなと感じる。

力の強いやつは前線で大いに戦えばいい。

頭のいいヤツは後方で参謀をやればいい。

それほどの力も頭もないやつは彼らを手伝えばいい。

それぞれの性能に応じた適切な場所があるはずだ。

そして無理にそれを逸脱する必要もないのだ。

 

 自分に合った生き方、やり方、場所。

そういったものを性能が低い人間こそ見つけよう。

そしてそこで出来る範囲のことを出来るだけやればいいだ。

 

 

シングルタスクの方が僕には合ってた

 少し意識してシングルタスクをするようにしているんだけど、これは結構いいと思う。没頭出来る。集中できる。

一番変わったのは音楽の聴き方。最近何聴いても全然盛り上がらないしつまらないし気に入らなかったんだけど、ちゃんと聴くとちゃんと入ってくるし気持ちも動いてくる。

そして気づくのよね。あぁ、今まで半端にやってたから入ってこなかったんだって。

 

 男はもともとシングルタスクらしい。だからなのか、一度シングルタスクを意識してやり始めると、逆にマルチタスクができなくなってくる。しかもこれ速攻ね。ちょっとシングルタスクをやり始めただけですーぐ出来なくなっちゃう。

それだけシングルタスクが自然であるべき姿なのかな、とか思った。

 

 出来ないことをやるのは負荷がかかる。肉体的にも疲労するし、精神的にもストレスとして負荷がかかってくる。

でも自然体なら掛かる負荷は必要最低限だ。今までは手足にウエイト付けて走ってたようなもんだ。それがなくなれば適切な疲労で適切な効果を発揮できる。

 

 やっぱり出来ないことをやるってコスパ悪いよな。

高負荷で低成績だもんな。

自然なことなら中負荷中成績。

そこから努力して高めれば高負荷高成績になれる。

やっぱり出来ないことは止めて、出来ることをしたほうがいいんだ。

 

 

危うく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 最近、鴨頭嘉人の動画を見まくって頑張って自分を変えて人生変えて笑って幸せに生きていくんだ!って意気込んで動画見てたんだけど一つの本を知って「あれ?やっぱ俺そっちじゃないじゃん。」って気づいた。


 今の仕事でクビを言い渡されたわけだけども、一応別立場の方から「君がまだ頑張るって言うなら、社長に掛け合ってみるけどどうする?ちょっと考えてみて。」って言われていて、今ちょうどそれを考えていた。

クビ理由は実力不足。職人技による仕事なので、簡単に言えば草野球レベルからプロ野球レベルにランクアップすることができなかった、ランクアップする能力がなかったということなのだけれども。

そして仕事をする上で親方に「お前不器用」「運動やってないやつはだめ」「左利きはだめ」と言われ、あぁ俺ってこんなにものづくりに向いていなかったんだ…と気づかされたということもあり、個人的には「もう少しやらせてください!!」なんて熱い熱意はもうすっかり無いわけで。

そういう意味では「いやもういいです」と即答しても良かったんだけど、でももしかして自分の中に「もうちょっとやりたい。もうちょっと続けるべきだ。」と思う気持ちがあるかもしれないと思い、それを探すという意味でも考える時間をもらって考えていたわけなんだけれども。

 

 自己啓発的視点でみたら、ここは「続ける」一択なのだ。人は、あと1メートル掘ればダイヤモンドが出てくるぞ、というタイミングでやめてしまうと。だから”あともうちょっと”を乗り越えられれば成果は出るのだと。

続けることは力であると。続けることにより能力は伸びていくのだと。

出来る。自分はできる。自分は凄腕の職人になれる!と思い、言葉に出すことでそうなれるのだ。むしろそう思い言わなければなれないのだと。

 

 まぁ、そういう感じだ。これらは正しいと思う。僕もたしかにそうだと。全くだと。そう思う。

が、今回の件が今までの転職と違うのは「自分の能力やタイプが全く仕事に必要な性質とマッチしない」ということが明確に発覚したということだ。

できないことを頑張る必要はない。出来ることを伸ばせばいい。自己啓発系はこういうことも言う。

僕は好きだったので気が付かなかったのだが、たしかに思い起こしてみると、小学生の頃のこぎり出来を切ったり小刀を使ったり彫刻刀を使ったり、めっちゃ下手で遅かったのである。物置からたまたま小学生の頃に作った物が出てきて、その出来を見て気付いた。

全然まっすぐ切れてないの。笑えるくらい。当時はなんとも思わなかったけど、こいつは誰がどう見ても下手くそなのだ。

作業スピードも思い出してみれば遅かった。みんなが終わっても僕は半分しか進んでいなかったりとかよくあった。

でも気が付かなかった。好きだったから。プラモ作ったり、何かを分解して組み直したり。

まさに下手の横好きだ。前に別の記事でも書いたけど僕の好きなことは何故か全部出来ないことで、きっと出来ないから楽しいのだろう。そういう性癖なのだろう。まぁその話は今回はさておき。

 

 そんなこんなで、そういった事もあり、僕は人生で初めて本当に心から「頑張ったけど出来なかった」と清々しい気持ちで堂々と言える。

 

 「でもこれだけ続けてきたのにもったいなくない?」と言われ、心が少し揺れ「これこれこうだから僕はやめるんだ」と、辞める理由を探して正当化し始め出して、「あ、この心理状態よろしくないな」と思っていた矢先に、ようやくお出ましこの本に出会った。内容はまだ読んでいないw

大切なことだからもう一度言おう。

内容はまだ読んでいない。

 

 僕のスペックははっきり言って低い。両親が教育に興味がなかったのか単純に金がなかったのかはわからないが、習い事をやったことがないしやれと言われたこともない。塾に行ったこともない。

とうぜん大学に行けとも言われなかったし、自分の今後の人生について話を聞かされたこともなかったし教えられたこともなかった。

だから、とは言わないが、僕はこれと言って何かをやってきたわけでもないし、これと言って何かが出来るわけでもないし、これと言った学歴を有しているわけでもない。

だが、他の人達は違う。何かしら習い事を経験し、スポーツを経験し、両親から人生についての話を教えてもらい、大学を選ぶ頃にはほぼ己の進むべき道を決め、決めた人生で10年ほど経験を積んできた。それが周囲のアラサーの人達だ。当然プラスアルファで恋愛経験出産を経験し、仕事面だけでなく人としての人間性という面でも彼らは大きく成長している。

そんな彼らと同じ土俵に立って勝負になるのだろうか。いやならない。

一昔前、無能の平凡人は無能なりの人生を歩むしか無い、と腹をくくった気がしたのだが、いつの日か日の当たる人生に憧れを感じ始め、そして困ったことにそっちの道へ自ら足を踏み入れてしまうという失態を犯してしまった。無能のくせに。

だが大いなる存在は「だからお前じゃ無理だってばwww」って言うことをこの1年間で教えてくれたのではないか、という気がする。

その最終の締めとしてこの本を僕に渡してきたのではないかという気がする。

 

 

 鴨tube見すぎて僕は本当に”危うく一生懸命生きるところだった”。

社会不適合者はどこかスレている。生き方も、考え方も、仕事も。

無意識にズレて居るから社会に適合しないし、そのズレを常時修正し続けるのが体力的にも精神的にも高負荷であるから社会に適合し”続ける”ことが出来ない。

ならば人と同じ生き方は僕らには出来ない。

他者とはズレた、違った生き方を僕たちは見つけなければならない。

その一つがこれなのかな、ってふと思った。

最近ずーっと頑張って走り続けてきたけど、ふとハッとした。なんか変な日本語だけどw

 

 所詮は逃避なのかもしれないけれども、草野球チームがプロ野球球団に入団できないからって罵倒されることはないように、僕らがプロ社会人になれなくても罵倒される筋合いはないんじゃないかな、って今は思うのである。

大好き、出来る、ツイてる

 言葉は現実を作るらしい。腹の中でどう思っていようと、言葉に出したことが現実になる。

 

ということで、僕に足りないものを強制的に言葉に出し現実にしていこうと思う。

 

まず愛。これはもらう愛が足りないって意味じゃない。僕から発する愛が全然ないってことだ。

僕は愛ってものが正直良くわからない。好きはわかるが愛してるは意味わからない。もうアラサーになってしまったが未だによくわからない。

だが、世界で一番大切なものは愛だという。僕は世界でいちばん大切なものを持っていないようだ。

 

次は自信。僕は色々とチャレンジ挑戦してきたつもりだがまぁ大抵上手く行かない。僕自身のスペックが全く足りないのだ。

10kmも走れないやつがフルマラソンに挑戦するようなもんだ。大体僕のスペックの数倍は必要になることが多い。

じゃあマイペースにやればいいじゃんと思うかもしれないがそんなの誰も待ってくれないわけで。じゃあ寝る間も惜しんでやればいいじゃんって言うかもしれないけど、そんな強烈なやる気お前はあんの?って思わない?ねーよそんなやる気。そんな事できる人なんてふつーじゃねーよ。

って話がそれてしまったけどまぁ成功体験が少ないおかげで自信があまりないんだ僕は。

 

最後は運。こればっかりは何故だかよくわからないが運には縁がない。くじ運とか最悪。10個中5個はアタリ、というくじで3回連続でハズレを引くくじ運の持ち主だ。

成功率80%を3回連続で外すくじ運の持ち主だ。

あ、でも先輩運は良い。これだけは本当に感謝している。上司運はクソだが先輩運は最高だ。僕の先輩たちは皆素晴らしくすごい人達ばっかりだ。彼らのおかげでまだ生きてると言っても過言ではないくらい感謝している。上司運は本当に糞だが。

 

 

 まぁそんなこんなで足りない物を実現するために、歩くときにこれを唱えながら歩くこととする。

大好き、出来る、ツイてる

大好き、出来る、ツイてる

大好き、出来る、ツイてる

大好き、出来る、ツイてる

大好き、出来る、ツイてる

だいぶやばいやつだ。

でも良いんだ。俺ってそもそも普通じゃないし、普通にすらなれないやつだし。そんなやつがヤバい奴って思われたってもはやダメージなど無い。

そもそも普通にすらなれない時点で十分にやばいやつだ。社会不適合者だ。

 

 

 ということで、言葉の力というものを検証していこうと思う。

 

「一見、いい人」が一番ヤバイ

「一見、いい人」が一番ヤバイ

  • 作者:下園壮太
  • 発売日: 2019/03/20
  • メディア: 単行本
 

 

他人の関心事に関心を持つこと

 僕は他人に興味がない。正直どうでもいいです。どこどこの誰それさんがあーでこーでって世間話は全然面白くないです。

っていうかあんた達他人のこと監視しすぎだろ…そしてその情報を広めすぎだろ…田舎こわ…

とか思っちゃいます。

昔携帯を売っていた頃にも言われたことがあります。社長の奥さんに。

「あんたは他人に関心がなさすぎる。あたしを見習いなさい。あたしは相手に興味を持っているから相手の思ってることがわかるのよ。」

って。

え?俺の思ってること全然理解できてへんやんかお前、と腹の中で思いながら、うぜーなぁあんたガンダムに興味持てって言われたら持つのかよ…とか腹の中で思って聞いてました。

僕という人間のタイプ的に、他者から「こうしなさい」というのは全く逆効果なので、そういう言い方したらまぁそうなるわなぁ、と今でも思います。僕に足りない部分がある、ということは理解した上でですよ?

 

 ただ、最近ちょっと違う視点を教えてもらいました。

人間関係を円滑にするために、いやそもそもお前自身のために「相手の関心事に関心を持つべきである」と。

そうすることによって自分は相手の欲しがるような言葉を投げかけてあげることが出来るし、それによって相手の僕への対応もプラスへ変わってくるはずだと。

関心を持つだけでそういう風にプラスに働くんであればやらない理由なんか無くない?

って言ってました。

やることで自分が得することがあるのなら、それをやらない理由なんて無いだろう?っていう考え方はちょっと新鮮でした。

なんとなく、それって利己的じゃね?とか思ったりもするんですが、それで上手くいくならそれでも良いんですよね。だってそれは相手にはバレないわけだし。

「他人との関係を良くしたいのなら一番近い人からだ。同僚?友達?家族?いいや自分自身からだ。」と。

そうも言ってました。

 

 

 なるほどな。

そうだな、すべて僕が得するため。僕が楽に生きるため。僕がストレスフリーで自由に自分自身に縛られることもなく生きるために。

僕は他人の関心事に関心を持つ。

 

関心力 (ビジネス社コンパクトシリーズ)

関心力 (ビジネス社コンパクトシリーズ)

 

 

INFP-T型。30代前半にして8度目の転職

 どうも。INFP-T型。左利き。B型。水瓶座。アラサー。です。

 今現在、実は職人のもとで修行中なんです。

製造業を5年ほどやっていたのですが、何を調子に乗ったのか「俺スキルアップできんじゃね?!」とか思って地元の職人さんのところに意気込んで弟子入りししたわけなのですが、1年やった結果「腕が悪い。進歩が見られない。」ということで終了と相成りました。

 

 学歴も大したこと無く、経験も毎度異業種のため中途半端。これと言って資格もなく。やりたいことや好きなこともこれと言って特になく。

師匠からも「不器用だし運動音痴だし左利きだし、お前に製造業は向かない。製造業以外にしろ。」と言われ、何をしようか途方に暮れております。

ハローワークへ行き、千件以上ある求人をそれなりに絞り込み、それでも数百件ある求人全てに目を通し、タウンワークやら求人情報誌をごっそり持ち帰り隅から隅まで目を通し、ユーキャンで資格でも取るか?とか思いながらカタログ見つつネットで調べながら一通り目を通し、性格タイプ診断なんかやってみたりして。

今日一日、普通に8時間求人を探してはネットで調べ、探してはネットで調べ、な一日でありました。

で、INFP-T型はクズだそうでw 社会不適合者だそうです。

自覚はあったw 昔真面目系クズという言葉が流行ったときはそういえば「俺はクズだ」と思っておりましたわそういえば。

適職診断とかをやれば大抵芸術系の道へ誘われる社会不適合人間ですが、元々グラフィックデザイナーをやっていた自分から言わせると、芸術系なんて進もうと思ったからで進めるものではないですよ、と。

経営者と同じで、なる人はなるし、出来る人はできるけどそうでない人はからっきしだめ、という世界ですよ。

「向いている」と言われたから志しました、なんてレベルの人は「好きでやっていて、なおかつ器用だったり想像力豊かだったり、性質も向いている人」には逆立ちどころか死んでも敵いません。だって我々は「一人で没頭するのは出来るけど、芸術なんて別に好きってわけじゃないし、器用だったり独創的で芸術的ってわけじゃない」もん。

小さい頃からずっと絵を描いてきた、とか、曲を作ってきたとか、小説を書いてきたとか、そういう人達はいいんです。大手を振って芸術への道を歩めばいいんです。この手の診断結果があなたの後押しをしてくれるでしょう。

しかーし。我々は違う。そんなものはないのさ…。

 

 じゃあどうしようと考えたときに、仕事は仕事。ワクワクや新しい体験や自分を満たすための行動はプライベートに集約すべきで、仕事は仕事としたほうが精神衛生上良いんじゃないかと考えた。

別に仕事はお金を稼ぐだけ、生活するためだけの手段、みたいなドライな考え方ではなく。

あくまで自身のストレスがないように、他人や環境によって無意味に無駄に自身のパフォーマンスを落とされることがない場所で、それなりに仕事をしていけば良いんだと思うのです。

例えばなるべく一人で作業し、その作業内でそれなりに融通が利く仕事とか。常に上司に管理監視されることのない仕事とか。同一作業を黙々とこなす仕事もまぁ良いかもしれない。

でも僕らは多分あまりに簡単だとつまらなくなり、ハードルが高いだけならともかくそれを責められ続けると簡単に心が折れ、仕事が楽しいということも実感しつつも面倒なことや疲れることはしたくない、という文面だけ見たらびっくりするほどのクズなのだ。(自分で書いててびっくりしたぞ)

そんな要素を持ち合わせた仕事などそうは無く。本当に次はどうしたもんかと頭を悩ませているところであります。

 

 とりあえずこれいいかな?と思ったものをピックアップしてみる。

 

郵便配達

goodpoint おそらく朝昼終業以外はずっと一人で配達作業。

badpoint 暑い寒い。営業ノルマがやばいらしい。配達ノルマも怖い

 

警備会社

goodpoint 施設警備でも交通整理でも人と話す機会自体は少ない。

badpoint 暑い寒い立ちっぱなし。警備内容によってはかなり長い拘束時間と待機時間。

 

運送会社

goodpoint 業務はほぼ一人。仕事の殆どの時間は運転。

badpoint 手積みの場合は体が死ねる。要大型免許等。拘束時間が長い。

 

タクシー運転手

goodpoint 業務はほぼ一人。

badpoint 拘束時間長いシフトもある。ノルマある?

 

軽貨物運送

goodpoint 一匹狼、一国の主。全て自分でできる。

badpoint 委託つまり個人事業主なので、失敗、稼げない、事故などリスクが高い。

 

 

 みたいな感じ。

今まではバイトも含めればグラフィックデザイナー、飲食、カラオケ、携帯販売、製造業、とやってきたので次は車かな?っていう感じで運転系の仕事をメインで見ていたり。外に居たいし運転は苦じゃないので。

ただし受かるかどうかわからないし…っていうか、もうこの歳でこの職歴になると面接にたどり着くことすら難しいのでねw

もう2ヶ月とか3ヶ月位はかかるだろうという心持ちでやっておりますよw 急いだり焦ったりしたところででクズはクズやからね。

ただ、これでコケちゃうと本格的に次にどうしたら良いかわからなくなるなぁ。

今までの仕事はやってみたいとか興味あるとかっていう分野から選んでいたんだけどそろそろネタ切れです。

他には整備士も興味はあるけど資格要るし、今回の職場でさんざん師匠に否定され続けたおかげで色々助けられた心理学を仕事にできたら良いなぁなんて思ったけど、最低でも大学院は出ないといけないのでこれを中学生や高校生くらいに気づいていればなんとかなったろうけど、今となってはもうね…。

 

 

 最後に余談だけど。

今回のクビ騒動だけど、もしかしてもう何年かやらせてもらえるかな?とか、もしかしてどこかが拾ってくれるかな?っていう期待もしていて。

どっちに転ぶのかわからない状態だったんだけど、こっちに転がりましたw

まぁ「お前そっちじゃないわよ何回言わせんのや」って大いなるなにかに言われていると思ってこっちの道を進もうかと思います。

 

あ、大いなる何かで思い出したけど、自分は仕事の内容が嫌で仕事をやめたことって一度もないのよね。…あ、ごめん嘘言ったw最初のグラフィックデザイナーだけ違うわw とある旅行会社の仕事が、積み木を積んで崩して積んで崩してを徹夜してやるような仕事だったのでそれが嫌で辞めたんだった。あ、でもそこの仕事だけ。拘束時間はすげー長かったけど別に仕事自体は嫌いじゃなかった。作り出すのにすげー悩んで頭使って疲れる仕事ではあったけど。そう、俺の場合”出来ること”ってすげー疲れるんだよね…。

で、話戻すけど今まで辞めた理由って全部人なんだよなぁって。

学生時代にバイトしてた寿司屋もめっちゃ詰めるし叩く偉い人にこてんぱんにされて折れたし、居酒屋は体育会系社長に嫌われてこてんぱんにされて折れたし、携帯屋は売上詰められすぎてこてんぱんにされて折れたし、製造業でも頭のおかしい社長の息子にこてんぱんにされて折れたし、今回も師匠に仕事のことから性格から私生活から何から何まで否定されて折れたし。

ほんとどれだけ成長しないんだよっていうね。でも、最初のデザイン会社なんて学生あがりだったってこともあったけどめっちゃ生意気なくらい自分らしく普通どおりに仕事できたし、携帯屋も店長や仲間に恵まれて一番楽しかったんだけどなぁ。

体育会系にはホント駄目だわ。俺らみたいな内向的なのはそもそも嫌われるし、とにかく相手を叩いて同行する人達だから被ダメ200%のデバフかかってる俺たちにはホント合わないタイプだし。こういう人に上に立たれるだけで今までオアシスだった所が一瞬で地獄に変わるよね。

まぁそういった部分も、大いなる何かが「お前いい加減克服せーや」と言っているのかなとも思うんだよな。

だからこそ今回は心理学かじってストレス耐性上げたり、鴨tube見て習慣づけたりしてみてたんだけど、物を作るという技術向上には役に立たなかった模様。でも、今までならとっくに心折れて鬱になっててもおかしくなかったけど、今回はかなり心は落ち着いてるもんね。ダメージはもちろん受けてるけどさ。前ほど深刻じゃなくなったし効果はあったのかなってね。

 

 

 さて。どうなるかなぁ。ほんと、冗談抜きにそろそろあとがないですよ俺君よ。

 

 

ブラウン オーラルB PRO500 レビュー

 今まではオーラルBすみずみクリーンの古いやつで、乾電池版のやつを使っていたんだけど、電池の蓋が閉まりにくくなっていたので買い替えを考えていた所、金所の家電量販店でPRO500が4000円と特価になっていたので衝動買いしてしまいました。

なのでその使った感想をちょっと書いておきたいと思います。


 とりあえず使った感想としては「うん、これで十分」と言った感じ。
そもそも以前の機種から、回転数も上がっているし上下運動も追加されているので、お試しセットすみずみクリーンでも十分だと思っていた自分にとっては、本当に十分極まりないです。

持ち手が細く長くなり、相対的にスイッチの位置も変わったのではじめは若干戸惑いますが、すぐ慣れます。
強く押し当て過ぎれば知らせてくれるし、今まで通り2分間経ったら教えてくれる。その当たりの基本性能はそのまま。

作動音は以前のモノに比べると多少は小さくなったかな?という感じはするものの、電動歯ブラシ界の中ではきっとうるさいほうなんだろうと思いますw

歯に当てた感覚は、上下運動が追加されている分なんだか衝撃が増えたような感じがしますがまぁすぐなれるだろうと思います。

替えブラシは同じものがそのまま使えるので新しく買う必要はないし。

充電器もスタンドに差す非接触タイプなので、昔の充電器のように接点不良に悩まされる心配もない。

うんこれで十分じゃん。これ以上何が要るの?って感じです。


 とはいえ、特価で買ったので良かったものの、これ定価だとネット価格でも6000円くらいしちゃうんですよね…。
そう考えるともう少しだけ出してPRO2000とか買ったほうがいいんじゃないかな、と思います。
定価でこれだと少し不満が残ったかもしれないですね。


なので特価などで安くなっていれば買い。定価なのであればもう少し出して上位グレードを買いましょう、というようなところでしょうか。

 

 

 話はちょっとそれますが、リステリン電動歯ブラシのおかげで常に歯がツルツル状態でなかなかに気持ちがいいです。
以前は夕方になる頃には歯垢を感じて不快でしたが、リステリン電動歯ブラシを使っていると夕方でもまだツルツルです。
虫歯を散々治療してきましたが、もっと早く知っていればあんなに歯医者に通うこともなかったのかなぁ…なんて思ったりしますねw